これでは、検察官たちが増長するのもしかたがないだろう。
たとえば「国策捜査」と指摘される一連の強引な立件がある。犯罪性の有無を取り調べるという基本を無視し、国家の政策に都合がいいように、最初から起訴を目的にした捜査をすることだ。とくに、90年代半ばの「住専問題」のころから顕著になっている傾向だが、それが年々エスカレートしてきているとの指摘がある。マスコミのバッシング報道に乗じた、安易な起訴も目立っているという。
あるいは、繰り返される「冤罪事件」の問題もある。とくに、検察がしつこく上訴して敗訴を認めたがらないケースには、その真の理由が、単に“担当検察官の失点隠し”というものもあるようだ。人生を台無しにされた被告たちにとっては、あまりにも理不尽な話だろう。
だが、もっと大きな問題が別のところにある。「検察を捜査する機関が日本にはない」ということだ。政界にしろ官界にしろ、あるいは警察組織にしろ、不正があれば特捜検察のメスが入る。ところが、検察内部で不正があった場合、それを摘発するのも、結局は検察以外にはない。だが、自らの不正を喜んで明らかにする組織・人間が、この世にいるものだろうか――。 |
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