国家の支配構造と私権原理
221242 江戸時代、えた・ひにんの人はどうやって選ばれたのか?
 
ダイ ( 29 東京 会社員 ) 09/12/05 AM00 【印刷用へ
 日本の階層意識について考える中、江戸時代、えた・ひにんの人はどうやって選ばれたのか?という疑問がわき調べてみました。

■■以下リンクより引用■■

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4〜5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

そして、「非人」は、上記(1)〜(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。

■■引用終わり■■
 
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