試験・身分制度の根深い害
219622 「遊び」と「教育」(1)〜遊びの原理を教育の原理へ
 
審判の日 09/11/14 AM09 【印刷用へ
子どもの遊びについて、教育の観点から書かれている記事がありましたので紹介します。

「遊びと教育」リンクより引用します。

以下引用です。

2 「よく学びよく遊べ」の意味
わたしたちは子どもの頃、小学校の教室には、「よく学びよく遊べ」という標語が掲げられていた。いつ頃、誰がこの標語を作ったのかは知らない。この簡潔なことばの意味は、単純そうだが、解釈しだいでわりと複雑な内容を持っているように思える。

1)「遊び」と「教育」は対立するもの?
 最も常識的な解釈は、ここでいうところの学び、すなわち勉強と、遊びとを対立するものとして捉える見方であろう。「勉強するときは勉強に集中する。遊ぶときはほかのことは忘れて遊びに集中する。そうすれば次の勉強へのエネルギーを蓄えることができる」という解釈である。ここでは、学習は緊張や拘束を意味する。まさに「勉強」ということばにぴったりの内容である。

 無理に強制するという意味の勉強に対して、遊びは解放や放任を意味する。この解釈の背後には、「労働」と「遊び」とのアナロジーがある。遊びを「労働力の再生産」として捉える立場だともいえよう。もっと消極的なものには、遊びを教育からの解放として捉える立場がある。たくさんある遊びの動機説の中で、「気晴らし説」や「浄化説」が、この立場を支持している。これにもまた、背後には労働と遊びとのアナロジーがある。管理された労働の中で抑圧され疎外された人間性を、遊びの中で、個性や全人的能力を表現することによって回復するという見方である。

 こうした解釈は、いずれも学習(勉強)と遊びとを対立するものとして捉えている。だが、果たして学習と遊びとは異なる交わることのない二つの世界なのであろうか。

2)遊びの原理を教育の原理へ
 確かに勉強と遊びとは、活動の内容からみると、はっきりと区別のできる違う活動である。算数の教科書をひろげて計算練習をやるのと、トランプで遊ぶのとでは、活動内容は全く違っている。体育の時間に教師に命令されてトラックを走るのと、遊び時間に鬼ごっこをするのとでは明らかに違う。しかし、こうした活動の結果に目を向けるとき、両者の違いは曖昧になってくる。計算力や走る力は、トランプ遊びや鬼ごっこによっても育つからである。 小さい子どもであればあるほどそうである。特に乳幼児の生活は、活動内容からみればそのほとんどが遊びである。ところが子どもたちは、遊びを通して色々なことを学んでいる。社会性も情操も言語も思考力も体力も、運動能力も、遊びによって身に付けていく。乳幼児期は特に、遊びが自己学習的になっているのである。

 子どもが大きくなって学校に行くようになると、教師が意図的、計画的にお膳立てしたプログラムによって、系統的に学習するようになる。それは確かに能率的である。しかし、効率を上げようとするあまり、個性を無視した統制が行われがちである。自己学習に変わって、強制学習が行われることになる。

 ところが、学校を卒業して大人になると、公民館などの社会教育施設やカルチャーセンターなどで、もう一度学び始める人がいる。中年の主婦や高齢者に、意欲のある人が多い。大学では講義中の学生の私語・雑談が問題になり、学会の研究テーマにまで登場するご時世だが、この人たちは違う。目を輝かせ、学習に熱中する。この違いはどこから来るのか。学校や個人の興味や能力に関わりなく、みんな同じ内容を押し付ける教育なのに対し、ここでは自分にあったものだけを選べる自由があるからである。すなわち自己学習だからである。遊びと同じように、活動を自分で選べる自由が与えられているからである。

 試験とか成績とか進学とかは、ここでは問題ではない。学びたいから、学ぶのが楽しいいから、あるいは生きがいだから、学ぶのである。乳幼児が外から強制されなくても自発的にいきいきと、多くのことを学習し成長するように、成人教育の場に参加する人たちには無気力など、探そうとしても見当たらない。意欲のない人はもともと来ていないのであるから、当然のことではある。遊びの原理を教育の原理にした具体的な場をあげるとしたら、まずは生涯教育の場をあげなくてはならないであろう。

以上引用終わり。(2)に続く。
 
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