日本人と縄文体質
217130 江上波夫「提言・日本人の多様性と統一性」より1〜倭人は江南人
 
山澤貴志 ( 44 鹿児島 ITコンサル ) 09/10/13 PM07 【印刷用へ
東北文庫WEB物語伝承館さんに掲載されている江上教授のS55年のシンポジウムの記録ですが、よくまとまっているので、抜書き転載します。

リンク

>日本人とは何か。日本民族とは何か。私はまず日本人の多様性と統一性の二側面を取り上げ、それと、私が世界に普遍的にあると考えている人類の三つの型(狩猟・漁撈民型、農耕民型、牧畜・騎馬民型)との対応関係を考えて、皆さんのこ発言の引き出し役を務めたいと思います。

>縄文時代以前から、すでに無土器文化の原住民がいたことは確かです。やがて北のほうではシベリアから、また南のほうでは朝鮮半島から、それぞれ別の系統の人々が入ってきました。同じアジアの人だけれども、いくつかの系統の人が日本に入ってきたわけです。一般的にいえば、縄文時代以前の土器文化は北アジアないし東北アジアから入ってぎたものです。

>弥生時代以降になると、稲作農耕といっしょに中国の江南地方から、いろいろな文化が入ってきました。

>歴史上で倭人といわれているのが、それら江南からの渡来人にあたると考えられます。その人たちは日本に来てから倭人と呼ばれるようになったのか、日本に来る前からそう呼ばれていたのか、日本に来ない前はどこにいたのか、そういった未解決の問題もありますが、とにかく倭人が東シナ海の海上を往来していたことだけは、いろいろな点から確かだと考えられます。 

>中国の史書で倭人が最初に出てくるのは『山海経』です。それが編集されたのは漢代に入ってからでしょうが、内容は戦国時代のものです。そこに「倭は燕に属す」と記されています。燕は北京付近から渤海湾の東北海岸あたりまでを占めていました。「倭は燕に属す」とあるけれども、これは中国風の書き方で商売上の往来があれば、中国人はその国を自分の国に属すると書く。ところで、燕と倭とは陸上交通で結ばれていたのか、東シナ海から渤海湾へという海上交通によっていたのか、ということが問題です。

>倭人は陸路で燕と通じていたのではないと私は考えています。中国では戦国時代から漢代にかけて、東北アジアの諸民族の存在や居住地をかなりよく知っていましたが、倭人のほうが韓人よりも四、五世紀も早くから知られていたのです。もし陸路、朝鮮半島経由で倭人が中国に知られたとすれば、途中の韓人がそんなに遅くまで知られなかったはずがないでしょう。ところが韓人が中国に知られるようになったのは、やっと後漢に入ってからです。

>事実、楽浪郡経由ではあるでしょうが、倭人が前漢と交渉をもち、中国文化を受け入れていたことは、北九州の弥生式遺跡の出土品からもわかる。弥生前期のころから、どんどん中国製品を輸入していた。

(私のコメント)

『山海経』に「倭は燕に属す」という記述からは、倭が朝鮮半島にあったという見方もできるところですね。「倭人のほうが韓人よりも四、五世紀も早くから知られていた」という点も気になります。
 
  List
  この記事は 195742 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_217130
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
217132 江上波夫「提言・日本人の多様性と統一性」より2〜騎馬民族が伝えた古墳(クルガン)文化 山澤貴志 09/10/13 PM07

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp