>ところが、市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。(そこで、もし人々が、私的な充足の為だけではなく、社会統合の為に、例えば『認識形成の場』にお金を使う様になれば、大変面白いことになる。近く、それを提起したい。)30710
現代社会では、成人は皆一定の税金を徴収され、その使い道を個人が選択することはできない。今の政治情勢を見ると、税金が正しく活用されているのかはなはだ怪しい。
そのほかにも環境活動や文化活動などへの寄付や基金などもあるが、古いカテゴリーではお金を払うことと、実際の活動がどのように結びついているのかが見えにくい。
海外では、自分が力を入れたい分野や関心の高い分野に税金を支払うような仕組みもあるようであるが、それでもまだ、当事者度が高いとは言えない。
その意味では、自分が「参加する」ためにお金を払い、参加することで社会統合に寄与できるというような、当事者としてのお金の使い方の可能性が大いに模索されるべきであろうと思う。
「認識形成の場」はその大きな可能性を提示しているように感じる。
多忙な社会人でも参加できる「ネット」がその実現の「要」になりそうだ。 |
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