>徒らに対象の細分化が進行し、ますます基本構造の見直しが捨象されて、誤った「基本認識」を生き永らえさせる事になった。<18718
ありていに言えば難しく考えるということはここでいう対象を細分化するという頭の使い方をしているのではないか。
なにか高尚なことを考えなければいけないとか、独自のものを生みださなければいけないとか・・・・・・。
学者や専門家はそうやって、必然的に誤った「基本認識」に陥るのではないだろうか。
そういう学者でも対談をすると実に面白いことをいう人もたくさんいる。
これは相手にいかにやさしく伝えるかを考えて発信しているからではないだろうか。
やさしく考えるということは、まず対象をはっきり大きく掴むという頭の使い方をしているのではないだろうか。 |
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