>ところが、市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。
「にも拘ららず、〜社会統合の為には使われない。」・・・そもそも交換取引の評価指標という私権の抜け道から始まっているのだから当然では?・・・にも拘らずって、どういうこと?
という疑問をもった。
よくよく考えると、何かを共認する(例えば規範や評価にしても)という行為は、全ては集団を統合する為である。ここがスッポリ抜けていた。
それが、「・・・にも拘わらず」に繋がっているのだと気づいた。 |
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