>『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。
>人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく。32086
とあるが、参加するだけで協働者となり、社会統合機構が構築されていくものなのだろうか?
現在は、“生存圧力を克服”という生物史始まって以来のパラダイム転換である。かつて大多数の人は、せいぜい自集団(私権集団)のことまでしか考えたことが無かった。
自集団を超えた社会を考えるとなると、捉えられる観念、認識が必要である。
ここで提示されている『認識形成の場』と言うもの自体が新たな場であり、今求められている“認識”を獲得出来る場である。
次代の活力源を生み出すにも“認識”は不可欠であり、(参照31826)。それは、認識形成という同類圧力=現実の圧力の場に投じることで生み出される。
まずは、認識形成の場に参加することによって、それが捉えられるようになる。周りに広げていけることも出来る。
それは、一人二人で出来ることではない。一人でも多くの人が参加することにより、認識闘争圧力も高まり、多くの実現の可能性が提示=“認識”が生み出される。それに触れることにより、集団を超えた人たちと課題共認することだって可能になる。
参加しないことには始まらない。
参加するだけ、とは書かれているが、いずれ参加するだけに留まらないことを示唆しているのであろう。 |
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