ある大学教授が著した本リンクに、80年代の教育機関の現状が書かれていたので、以下に要約する。
今の中学生の95%が、高校に進学する。この背景には「勉強するのは常識で、そのために教えてくれる人と本がある学校へ行く」という強い学校信仰が根付いているからだ。
学生は独力で知識を得るのではなく、先生と教科書に引っ張られているだけで、自力で動くことはできない。現在の学校はこういう人材を創りだす機関に陥っている。
このような学校において、優秀と判断される人材とはどのようなものか?評価をするのは先生であり、先生が引っ張るままにどこへでもついていく従順な人材が優秀とされる。勝手に飛び上がるのは規律違反。
これでは、与えられた枠組みの中でしか物事を考えられない。学校教育を受けた時間が長ければ長いほど、劣化してゆく。
まさに、『特権階級の自家中毒205507』で書かれていた内容通りである。70年に貧困を克服した日本においては、大半が本当の私権圧力を知らない。従って、学校や親から「試験制度発の合格」という無機的な目的意識を植え付けられた人材だけが、ひたすら試験勉強に励むことになる。それが、現在の特権階級である。
彼らは、試験制度という与えられた枠組みの中でひたすら「合格」を目指してきたために、そもそも枠組み自体を疑う発想が極めて貧弱である。従って、制度によってもたらされる特権を行使すること以外の目的意識は生まれてこない。だから、「社会が改善するにはどうする?」といった発想が全く出てこないのである。
現在の教育機関が、無機的な目的意識しか創せない場に陥っていることが、日本の元凶となっている。「勉強すること」の本来の目的意識は、周り⇒社会の役に立つことである。社会的な目的意識が形成されて初めて、勉強に向かう原動力が生まれる。このように、現在の教育機関には社会的な目的意識を創りだすことが求められており、それを実現して初めて次代を創る基盤を構築できるようになるのだ。 |
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