『その時々の時事問題や経営上の実践的問題から出発しながら、底に達するまで徹底して原因を分析し人類の原基構造を解明するという、流れの繰り返しでやってきたからではないかと思われます。』(236)
底に達する迄、原因分析を行おうとすると、既存の既成観念(情報)や、身の回りに見える対象だけを捉えていては、根本の問題解決には至りません。
ましてや、自分の頭だけでこねくり回しただけの対象方法だけでは、問題の捉え方が、皆(社会)の不全とイコールなのかどうかを精査するのもなかなか難しいものです。
共同体が、解体された都市部の人達を繋ぐものは、メディアから日々発信する内容が共有される内容の多くであるが、その内容の多くが自らが日々の日常生活の中で潜在的に体感しているものとズレていると捉えている。
何となく、社会問題(不全)を捉えている人は多いけど、徹底した原因分析が出来ないので、何となくで終ってしまう。
この状態が今までの常であったが、もうそろそろ身の回りにある社会問題は、自分という枠組みを超えたところで、皆と共有していかなければ何も問題解決しないんだという共同の精神を抱きだした人達が露店でも増えてきている。
その根幹にある意識は、
目先的な問題解決では、何も解決しない。
徹底した原因分析なくして根本問題は、解決しない。
という事だろう。 |
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