この投稿34154がなされた2002年には共認圧力の場の多くはまだ潜在していたが、2009年の今、目に見える危機の発生とともに一気に顕在化してきているのは明らかだ。
しかし、その先端とも言えるブログなどの内容について言うなら、個々の現象追究に傾倒しすぎるがためにそれぞれ限定的な範囲に固定され、全体として統合感・収束感に欠けており、手放しで喜んでいいのか不安が漂うというのが現状ではないだろうか。
■■顕在化した共認圧力の場を統合・収束してゆくにはどうするか?
個々の追究のみに陥らないためには、常に全体像≒目標を把握しておくことが重要になる。
そのためにも、
>判断の土俵とは、人々の潜在思念が作り出した共認圧力の場34154
であるという認識が、改めて重要に感じる。
貧困が消滅すると同時に生存圧力から同類圧力へと場の圧力が転換したこと、その結果新たな可能性が開かれたこと、その先にある目標としての共認社会の充足イメージを潜在思念でしっかりと捉えること。
これらが基盤にあってこそ、統合・収束につながってゆくのだと感じる。
『目に見える危機』⇒『観念領域での追究』は、こうした大きな充足イメージの実現過程の一端に位置する、ということになるだろう。 |
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