否定脳(旧観念)からの脱却
207989 古代山岳信仰の変遷
 
衛藤信義 ( 40代 東京 エンジニア ) 09/06/02 PM07 【印刷用へ
縄文時代の精霊信仰は、生命の働きが見られるあらゆるものに人々は霊的存在を見出していたわけですが、いろんな信仰形態があるなかでも、山岳信仰は日本列島における原初的信仰形態の最右翼として語られることが多いという。
縄文以降、山岳信仰がどのように形成されていったのか、調べてみました。

■縄文時代〜「畏敬の山」
・山岳信仰の初源は縄文中期の頃ぐらいから見え隠れしている。

・縄文時代における山岳信仰の姿は、概ね平野部において祭祀場を作るという形態であった。
 信仰対象と思われる山岳は、祭祀場から遥か離れた、しかし望視できる位置にあるという形態が多かった。
 山頂は当然のこと、山中に祭祀場らしき遺跡が形成されるということはこの当時にはなく、ほとんどの場合が山岳部とは別個の平野部に分布していた。

・縄文時代の人々は山岳へみだりに登ることはなく、それは次第に、人々へ「山岳が危険で恐ろしい場所である」という漠然なイメージを与えるに至った。なので、人々は山岳を恐ろしい(畏れ多い)場所とみなして、それを畏怖した。
 まず人々は山に「畏怖・畏敬する」ことから始まったもので、これが人々の抱いた最も原初的な山岳信仰の姿だと思われる。

・縄文人はそのうち、万物に生命の働きがあるというアニミズムの観念を成立化していく。その時、人々に、時には火山噴火などで被害を加えたり、そうでなくとも山の近くで起こる天気の移り変わりや自然の驚異などは、当時の人々に「恐ろしい神霊の存在」を抱かせるにたやすかった。ここから、縄文時代における山岳信仰は漠然ながらスタートしたとみなして良い。


■弥生時代〜「恩恵の山」
・稲作の始まりによって、山岳信仰にも大きな変化の画期が訪れた。

・稲作(農耕)に水は欠かせないという点から、河川の水源でもあり降雨を降らせる雲が峰にかかっている山岳は、農耕民にとってまさに「適度な水量を施してほしい存在」として、祈願の対象に至った。人々にとって山は「畏れる対象」でもあったたが、ここで同時に「恵みの山」としての要素も萌芽したことは、注目に値する。恵みの雨を降らせてくれる山岳は、恩恵の山であり、人々は畏怖する一方で、山に崇敬の念も込めるに至った。

・稲作が導入されたことによって、人々は稲作・農耕儀礼という新たな祭祀形態を成立させるに至った。ここに祭祀形態の1つの画期が設定できるだけでなく、このことは山岳信仰にも「水源としての山岳」という、新たな信仰要素(=水神信仰)の付加にもつながった。そして、山岳は以前よりもさらに「恩恵の山」としての性格を強めていった。


■古墳時代〜「神体山信仰」
・古墳時代において、山岳信仰はやっと明確な形を見せ始めた。

・弥生〜古墳時代(原史時代)の山岳信仰は「山麓祭祀」という用語で規定できる。
 古墳時代の祭祀遺跡の分布を概括してみると、山中における古墳時代以前の祭祀遺跡というのはほぼ皆無といって差し支えがない。

・平地よりも高い位置にあり、その山容などによって神威感を与える山岳は、聖山として神聖視される傾向にあった。そうした山々は、神々が(一次的or恒常的に)宿るという意味の「神奈備山」とみなされ、歴史時代に入ると、ふもとには神社が創建され、その神社は背後の山を「御神体(=神体山)」とした。

・神観念の体系化により、「山は遠地にいる神が降臨する霊域」→「山は天上界にいる神々が一時的に降臨する霊域」だとみなされたが、山は神聖な場所であるため、人々は山には立ち入らず、その山の手前にあるふもとに祭祀場を築き、祭りの際はその祭祀場に、神を一時的に降臨させるという形態をとっていた。
 しかも、祭祀場は祭りのときだけに設置されるものであり、祭りが終わったら祭祀場は撤去されるというのが古来の形態であった。


■飛鳥時代以降〜社殿建築+山岳仏教→山頂へ
・仏教伝来〜寺院建築の影響を受けて、神道的祭祀場にも新たに「社殿」という概念が創出された。
 社殿建築の成立を持って、「神道」は「神社神道(=律令神道)」としての階梯を達成したといえる。
 
・社殿は大掛かりな木造建築物なので、それ以前のように何度も何度も撤去・設置を繰り返せるものではなく、神道においても祭祀場は常設化するようになり、それを観念的に合理づけるため、「社殿は神霊の常在する神殿である」→「神霊はいつも社殿の中に宿っている」ということになっていった。これは、以前の祭祀場のかたち――神霊は祭りの時だけ祭祀場へ降臨する――とは大きく異なるものであった。

・平安時代中期、山岳仏教の成立。
 山岳仏教は、仏僧が山中へ入り山頂へ登ることで仏の加護を受け一種の霊力をつけるという、修験道の前段階に位置付けることのできる形態であり、ここにおいて「人々は山中に足を踏み入れ、山頂へ至った」。


参考:「原初的山岳信仰の変遷」リンク
 
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