>こうした応報刑を正当化し、国民が自ら求めたものであるかのように装うために、裁判員制度が計画された。すなわち、わずか数日の審議に、予備知識も調査権も持たない市民が参加するならば、犯罪の事実、結果だけを見せつけられ、それに感情的な反応をすることしか余地がない。(207254)
これは現在の投票制度と全く同じ構造だ。
>そしてそのように、バラバラの個人に解体し、大して何もできない様な状態にした上で、個人に一票を授けた。それが「個人を原点においた」民主主義なのです。(2871)
万人で担うべき社会統合課題は、あくまで特権階級が握っている。その実態から目を反らすために、あたかも万人で担っているかのように錯覚させる体制を作る。
これにより、特権階級の特権はますます強固なものとなり、暴走に歯止めがかからなくなる。
>かくして、団塊世代がトップor幹部に就いた'00年以降、彼ら特権階級は、ひたすら与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
これは、権力の自家中毒であるが、恐ろしいことにその病癖は麻薬中毒よりももっと酷い結果をもたらすことになる。(205507)
こんな制度がまかり通ってしまう現状は、かなり危機的な状況にあると認識する必要がある。 |
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