中国と日本が朝鮮半島諸国に先駆けて中央集権化を可能にしたのは何故か、と考えると、国土の大部分にわたって稲作が可能であるという地理的、気候的条件が大きいのではないか。
以下、山中光一氏の近著「古代史巨視考」2008年4月名著出版刊を参考に気候変動と歴史の相関を考えてみる。
●日本の気候と政治体制
過去の日本列島の気候は以下のように変化している。(坂口豊氏の尾瀬ケ原のハイマツ花粉分析から考察)
(1) 〜紀元前1250年迄 縄文温暖期
尚、紀元前4千年頃がもっとも温暖となり縄文海進が始まった。縄文社会は基本的に環境依存型の採集生産社会であり、自然の循環サイクルを壊さない生活スタイルが維持されていた。
(2) 〜紀元前 400年迄 縄文晩期冷涼期
縄文晩期は「寒の戻り」の時期。九州地方で稲作が開始された時期でもあるが、日本全体を見れば寒冷すぎて稲作は全国的に波及することはなかった。
(3) 〜 200年迄 弥生中温期
稲作の広まった弥生時代は全体として現在と同じような平均温度の時代で、全体的には前半はやや温暖、後半はやや冷涼。稲作が全国的に普及し、オオクニヌシ神話にみられる国造り=稲作農耕社会の基礎が築かれた時代。
(4) 〜 700年迄 古墳冷涼期
氷河期が終わった後ではもっとも冷涼な時代で、現在と比べると約4度低かったと推定される。政治的には朝鮮半島と日本をまたにかけた覇権闘争の時代、大和王朝といえどもまだまだローカルな王に過ぎなかった時代であった。
(5) 〜 1250年迄 古典温暖期
奈良時代から鎌倉前半元寇の頃までは温暖期で、中央集権的な統一が維持されていた時代。文化的には王朝文化が繁栄した時代。
(6) 〜 1600年迄 中世冷涼期
(7) 〜 1700年迄 小古典期
(8) 〜 1867年迄 小中世期
元寇から明治維新1867年迄までは全体としては冷涼期。
織田信長登場まではまさに群雄割拠の中世である。
その中にあって、1600〜1700年は一時的な気候の回復期で、織田・豊臣・徳川初期の国家統一の機運がつくられて、文芸復興期でもある元禄期の繁栄に至る期間でもある。
その後は再び冷涼期。(ヨーロッパでは小氷期ともいう)政治的には徳川が統一しているとはいえ、集中度は低い封建制時代といえる。 |
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