>団塊世代がトップor幹部に就いた'00年以降、彼ら特権階級は、ひたすら与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
これは、権力の自家中毒であるが、恐ろしいことにその病癖は麻薬中毒よりももっと酷い結果をもたらすことになる。(205507)
権力の自家中毒症状は、社会統合を専門とする政治家や官僚ばかりではなさそうだ。一般企業にもその傾向はあるらしい。サロンでその話になった。
入社したての下の人間は、もっとよくなるにはどうする?とどんどん出していく。それが的を得ていたりする。しかし、イザ自分が上の立場(権力をもってしまう!?)になると既存の制度・やり方でいいと思ってしまう(=権力の自家中毒)。
例えば、人材評価。人材評価は上の人間が行う。上になるほど誰からも評価されない。その地位を維持するにはその制度のままがよい。しかし、「下から上の人間を評価する機会もあってもいいのでは?」なんて提案は当然、上の人間は受け入れたがらない。
まさに、権力の自家中毒。
このおかしな構造も、一環して集団にかかる圧力の有無に「答え」があるのではないだろうか。貧困の時代、集団には強烈な圧力が働いていた。集団は序列統合されていたが、上も下も私権獲得と言う目標で必死になっていた。
しかし、貧困が消滅した70年’以降、集団にかかる圧力は弱まり、いつしか地位に肩を借りた権力の自家中毒による快感に溺れていくようになった。
制度を変えるばかりか、いかに自分の都合のいいように動かすか、そこに収束してしまうのかもしれない。集団にかかる「圧力」によって「自家中毒」も規定されているのではないだろうか。 |
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