最近の東京都水道局の話もそうだが、時折彼等は我々一般人の意識とまるでかけ離れたことを平然とやってのける。金の使い道も然り、その仕事内容においても現実社会の取るべき定石を平然と無視してくるわけだが、これは一体何故だろう?
試験勉強の極めて秀でた結果を以って彼等は特権的な地位に就いているわけで、紛れもなく一般人よりも脳のスペック自体は高いはずである。間違っていくとすればその後が要因であろう。言い換えれば彼らの成長というのは、試験に合格した時点で止まってしまっているのではないだろうかという仮説が立つ。
圧力の働かない組織というのは、翻って言えば期待のない職場だとも言える。期待がないからそれに応じて生じる効力感も同様に存在しない。そこにあるのは、自らが作り出した絵図を実現して生じる効力感だけである。とするならば、この特権階級という構造そのものが人間を墜落せしめる装置だとも言えなくもない。だが、以前「優秀だと言われていた」とされている官僚が、どうして今の体たらくになっているのかという疑問は残る。特権階級は、その特権階級に至る過程においては、つまり過去においては規範的な周囲の共認と期待圧力下において形成されていたが、様々な要因によりそれが届かないほど高くなってしまったが故に、腐敗構造化してしまったのだろうか? 疑問は尽きない。
一つだけ言えるのはこの日本において、現在のような「特権階級」と言うべき巨大な力が、羊飼いが羊を操るように振舞う構造そのものが、てんで不適格なのである。我々はコントロールが必要なほど愚かではないし、そもそもこの「大衆を操縦する」という発想そのものが、恐らくはどこからか持ち込まれてきたものである。一人の一つの脳みそが、何のバックボーンもなく知恵もなく天恵もなく只、「個」として置かれているのが現在の状況である。これが例えば、ネットサロンの席亭のように何らかの集団に基づく代表であったなら、それだけでも明確な差が生じるだろう。今気付いたのだが、過去の官僚やお役人さんというのは、例えば地域から学問に秀でた人間が出て、地元の期待を一身にといったバックボーンがあったからそうなれた部分もあるやもしれない。何にせよ、現代のように彼らの脳みそが只一つのものであるうちは、何の解決策も打ち出せないだろう。 |
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