無圧力空間の中に身を置いている集団の一つに「学校」がある、と言う話を聞きました。
意外に思ったのは、昨今の少子化を受けて現実に経営難で潰れて行く学校もある中で、なぜ危機意識が惹起しないのか、と言う点です。
目の前に危機が迫っているのは火を見るより明らかなのに、何故気付かないのか。これには日本の学校が歩んできた特殊な経緯があるようです。
日本は戦後の高度経済成長と豊かさの実現、一億総中流化の中で、高校、大学の進学率は急速に伸びて行きます。
学校にとっては追い風の時代です。
追い風だけで有れば、経済成長期はあらゆる産業が追い風、伸張期であった事は間違いないのですが、他の産業はこの追い風に乗って常に熾烈な私権競争を繰り広げていたのに対して、学校はそうした努力をしなくとも放っておけば学生は集まってくるという、構造がありました。
伝統有る私立学校なら尚更だったのだと思います。
また、学校は国家からある程度保護されていた、と言う点も大きいと思います。
国家の礎となる教育分野を保護するという政策には頷ける部分もありますが、結果として、同じ教育分野でも常に成果が問われる塾や予備校と違い、学校を無圧力空間へと転落させて行きました。
本来教育とは、社会の期待を掴みこれに応えて行く力を身につけて行くことがその本質であり、それが学ぶ活力に繋がっていたはずです。
その学校自身がこうした外圧把握と期待応合のアンテナを鈍化させていたのでは話になりません。
これも学校が長く無圧力空間に身を置いてた結果であり、これを打開するためには「先生が頑張る」といった精神論ではなく、真っ当な社会の評価を受けるシステムを構築する事だと思います。
そしてこれは学校だけの課題ではなく社会の課題として私達皆が考えて行かなければならないのだと思います。 |
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