日本を守るのに、右も左もない
204422 麻生太郎のバックボーン
 
うらら ( 大阪 ) 09/04/15 PM03 【印刷用へ
麻生太郎の実家が福岡を基盤とする一大コンツェルン「麻生グループ」であることは有名ですが(リンク)、さらにその背後には「玄洋社」という団体があるようです。

以下、「賭け人の独り言」より。
リンク

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玄洋社の前身である政治結社『向陽社』が結成されたのが明治十一年(1878年)秋。翌年『玄洋社』と改名され、初代社長には西南戦争で西郷軍に参加して生き残った平岡浩太郎が就任した。

その頃の我が国では、西南戦争後の自由民権運動が日本全国に大きなうねりとなっていた。玄洋社も自由民権運動、不平等条約改正案などを巡り沸騰する世論の中で、平岡をはじめ頭山満、箱田六輔、来島恒喜、進藤喜平太、内田良五郎らの活躍で全国的に名を知られる存在となっていた。

ちなみに『黒龍会』は、内田良五郎(筑前勤皇党の志士)の息子にして平岡浩太郎の甥である内田良平らが設立した団体で、玄洋社の活動を海外展開した。

西南戦争に於ける西郷軍の財政的困窮を目の当たりにした経験をもつ平岡は、「財源なくして天下国家を論じても空論にすぎない」と同志に説き、同じく玄洋社社員の安川敬一郎と共に福岡・筑豊に於ける炭鉱事業に乗り出す。また玄洋社社長を辞した後、明治27年(1894年)からは衆議院議員として国政に参画し玄洋社の側面援護に当った。

この平岡と交流があったのが筑豊の炭鉱事業家・麻生太吉。平岡が衆議院議員を務めていた明治31年には、当時九州鉄道取締役だった麻生と交わした書簡が現存している。この麻生太吉の曾孫が、内閣総理大臣・麻生太郎氏である。

当時の筑豊は石炭が「黒ダイヤ」と呼ばれ、石炭景気に沸きかえっていた。大手の三菱、住友、古河、三井ら各財閥が進出する一方、「筑豊御三家」と呼ばれた安川敬一郎、貝島太助、麻生太吉をはじめとした地元勢力も財を成す者が多かった。

大正2年(1913年)2月、孫文が訪日し福岡に来訪した際、安川敬一郎邸に宿泊後、博多聖福寺にある平岡浩太郎の墓参、次いで玄洋社を訪問。歓迎の晩餐会を主催したのは安川敬一郎、貝島太助、麻生太吉ら筑豊の炭鉱経営者たちである。

このように筑豊炭鉱こそは、玄洋社をはじめとする福岡の志士たちの活動を支えた舞台であった。在野団体だった玄洋社が軍資金不足に陥らなかったのは、平岡の経営の才能に負うところ大である。孫文の活動資金にも充てられ、また頭山満も同じく筑豊炭鉱の鉱区売買によって活動資金を調達していた。

しかし直接の玄洋社社員は平岡、安川の両名で麻生家自体は関与していない。

麻生太吉は炭鉱の開発とその売買によって財を成したが、玄洋社関係の鉱区には関係していない。明治29年(1896年)に頭山満から山野炭坑を買収したのは三井財閥であった。

また炭鉱では労働争議が度々起こったが、俗に“川筋もの”と言われる筑豊極道が炭鉱側に雇われたりした経緯もあって、戦後GHQがマッカーサー最高司令官名で出した「超国家主義団体に対する解散命令」で禁止団体に指定、解散させられた玄洋社に関連づけようとした不心得者が荒唐無稽な連想をした可能性もある。

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麻生さんのバックには、日本民族史を支えたツワモノドモが色々いそうな気配だ。
 
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