>認識形成の『場』の構築とは、人(ひと)欠乏や認識欠乏を顕在化させ、人々の新しい活力源を作り出す活動であると同時に、人々の協働活動と評価共認に基づく、全く新しい社会統合機構を作り出そうとする活動である。<
>そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。<32085
しかしこの「参加」には2つ条件があるということを改めて気付かされた。
70年代以降「市民参加」を標榜する運動や施策が声高に叫ばれ、多くの現場で試みられてきました。
しかし、それから40年を経る現在、運動や政策の現場の活力が向上したとはとても考えにくい。
この、語感からしてこそばゆい「市民参加」に決定的に欠けていたのが、人々が参加し行動するときに必要な共通の認識=課題解決に必要な認識体系と、その認識を獲得しようとする動機=圧力の不在です。
人々が進んで参加するためには、単に意見を言えるといった自己主張の発散の場ではなく、課題を解決するための認識を獲得することが楽しくて仕方がないという場の活気と、一方でその認識のたゆまない向上を促す、開かれた評価競争の圧力が不可欠となる。
その2つの条件をこの「場」に作ることが、共認社会の評価競争に勝ち残る条件となる。 |
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