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20288 |
縄文時代の豊かな色彩文化 |
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( 40 東京 監理 ) |
02/01/08 PM11 【】 |
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森さん、こんばんわ。
縄文時代の「色」について小山 修三氏の”縄文学への道”の著書の中にユニークな分析がありましたので紹介します。
縄文人の色彩感覚はまことに豊かであった
以降は彼の抜粋を交えて書いてみたいと思います。
縄文時代の色彩について、まず赤が縄文時代を通じてあらわれる。
素材は酸化鉄でのちに水銀朱も使われている。はっきりしているのは葬送で、死者は頭部あるいは全身を赤く染められることが多い。しかし赤は日常の場でもよく使われていたようだ。赤い漆塗りの櫛は各所で多く発掘されている。
黒もよくつかわれていた。漆器の他に黒光りするまで磨きこまれた土器があり、赤と対比的に模様を作り出すことが多い。黒の素材は炭素であるが、漆にすすを混ぜて土器等に練りこんだに違いない。土器の複雑な模様もこの2色の対比によってそのメッセージ性をより高めたことだろう。
白は質のよい粘土や貝を用いて表現したようだ。植物繊維等もよく晒して白として表現した。どんぐりやならのあく抜き技術からも縄文人の水利技術は高く草木染めの知識も持ち合わせていたことが想像できる。
また、イヤリングやビーズの装飾品には緑、黄、白、黒の色のはっきりした素材を選んでいる。ワンポイントとしてヒスイ、琥珀、貝を好んで用いられた。
縄文人は色の鮮やかさだけでなく特に輝いたり、黒光するような滑らかな面を好んだようである。
このような嗜好は縄文人の美的感性を示すと同時にそこに豊かな精神世界の交流を垣間見るのである。
彼は同時に赤と黒という色彩の使い方をハレとケの文化の必要からという見方もしている。
森さんがおっしゃるように、黄金に象徴されるよう階層化以降急速に色彩は意味付けられたのでしょうが、縄文時代の色彩への傾憧は異なった側面があったのではないかと思います。
縄文中期〜後期、シャーマンの登場と時を同じくして縄文人の色への感性は高まっていった〜それは現代的に言えば芸術でありファッションなんでしょうが、文字文化を持たない縄文の民の意識としては日常コミュニケーションと後世伝達の重要な手段であったのではないでしょうか。
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