原猿が外敵のいない樹上で繁殖し、ゆえに食料限界にまで過密状態になったであろう環境(約3500万年前の真猿発生前の状況想定ですが)は、これまでの個体行動を司っていた性闘争本能や独占的行動本能では対処できない深刻な外圧状況に違いありません。
そこから考えられる可能性は、独占意識の形成により、さらに闘争を激化してサバイバルの道へ進むか、集団として縄張りを確保し、群れとしての生き残りと食料の効率的な分配という共認意識の形成に進むか、のどちらかだと思います。(他にもあるかもしれませんが)
元来彼らには、縄張りから追い出すことはあっても(その結果相手が外敵に食われたり飢えて死ぬことはあっても)同類間で殺しあうという本能はセットされていません。いくら独占的意識を強化して追い出したとしても、外敵のいない樹上ではそこにとどまる限り、直ちに死をもたらすわけではなく、縄張りの餌を掠め取る機会は常に存在します。つまり生かさず殺さずの状態が恒常的なものとなるはず。
そこで、既成の本能である追従本能などを足がかりにした群れ(集団)意識への可能性が開けてきます。
一旦性闘争本能などの独占的行動様式を、序列などの群れ(集団)共認によって制御下におき、群れを前提とした行動規範を形成してゆく道筋です。この方向ならば直面するゆきづまり状態を突破する可能性が十分に感じられます。(事実、真猿の多くは群れとして生きる道を選んでいます)
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