日本を守るのに、右も左もない
199910 超国家・超市場論研鑽の記
 
松岡隆 ( 45 大阪 会社員 ) 09/02/17 AM01 【印刷用へ
約3ヶ月に亙り「超国家・超市場論」をサロンで研鑽し、一応の終了をみた。これより前に実現論前史を学んではいたが、より現代社会に即したテーマであり更に難易度は上がったとの印象はある。そのためか、気づきも増えたものの、重要でありながら取りこぼした点も多々あるものと思う。

従って、理解もまだ浅く血肉となったとはとても言えないが、特に印象に残った点を3つほど挙げてみたい。

@歴史的事実に基づく新たな統合基盤の必然性

>全ての生物は、環境(外圧)に対する適応態として存在する。そして環境(外圧)が変化すると新しい環境(外圧)に適応すべく新しい最先端の可能性へと収束し、やがて新しい機能が生み出されると、古い諸機能は新しい環境に適応し得る最先端機能の下に収束することによって、全体が再統合される。(29834

生物とは外圧適応態である、とは実現論でも語られている歴史的事実であり、我々が事実追求していく上での根本原理でもある。そして、人類に於いては外圧(同類闘争圧力<私権闘争や略奪闘争>)に対して適応する為に統合(社会統合化)することが必要不可欠ということになる。

この大前提に立つ時、外圧の変化は社会統合様式を変える必然的要因となる。そして、その外圧変化は既に1970年の貧困の消滅により生存圧力の衰退という形で始まっているのである。付言すれば更にその約30年後、1990年代末に起こった国内金融機関の相次ぐ破綻や官僚汚職による旧大蔵キャリアやエリート銀行マン、証券マンの没落という現実を前に、1つの私権追求志向が(外圧に適応し、活力を与える)可能性として潰えた。

この様な統合不全を前にしながら、さりとて統合しなければ人類は生存できないという危機のうちに、新たな統合基盤が求められているのだと理解できよう。

A具体的な統合基盤創造に向けた考察

では、実際に社会統合基盤を創造するとはどういうことか、と問う時に先の引用にあった「古い諸機能は新しい環境に適応し得る最先端機能の下に収束することによって、全体が再統合される」との一文が非常に重要になる。
つまり旧来の統合軸であった私権原理をただ忌避するのではなく、それらを交えた中で、どれが生存圧力衰退という前代未聞の外圧への適応様式として可能性を感じさせるのか、を競わなければならない。それこそが社会統合原理における共認闘争の“争点”なのである。

そして、その競争に打ち勝った統合原理こそが、即ち旧来の統合機能をも収束させていくことになる。
ならば、如何にして旧来の私権原理を超え得る統合様式を確立するのか。

>歴史を貫通する人類の最先端機能は評価共認であり、それが人々を収束させ、集団を統合し、秩序と体制(役割分担etc)を形成してきた。
〜中略〜
従って、いかに時代が変わり、中身が変わっても、『評価指標の共認』という収束=統合機能の絶対的な必要性は、不変である。
それ故に、時代が変わる時、新しい可能性(中身)は、必ず古い評価指標の世界の真只中に姿を現わしてその評価の洗礼を受けることが、顕在化するための絶対的な必要条件となる。(35273

つまり、共認動物である人類にとって評価指標こそが統合の本質なのであり、それをお金という私権獲得の為の指標から、皆の必要性やその認識充足性という観点による類的価値としての指標、即ち「(認識形成への)参加人数」「(認識形成への)投稿資格」に、認識転換させることがカギになる。
その為に繰り広げられるネットやサロン、露店での不断の対話こそが、体感共認或いは観念共認を呼び起し、可能性を感じさせ蒙を啓く契機となるのである。


B認識革命を貫く本源性

先に実現論前史を学んだということもあるが、超国家・超市場論においても通底する思想が流れている。そのことを特に意識したのが、“類的”という用語であった。
この言葉は19世紀の哲学者フォイエルバッハが編み出したものだが、彼は主著である「キリスト教の本質」に於いて、“神性”とは人間の内面そのものを投影したものであり、人間の外に神性を措くことは人間疎外であると、その倒錯性を喝破している。そして、人間が日常に於いて常に利害関係(=私権)を抱きつつも、それだけではなく人間の本質(つまり人類としての本源性)を意識して生きるものだと語っている。因みにその人間の本質とは理性(=思考、認識)、意思、心情とあるが、それらが人類を他の生物と分かつ類的な要素であり、人間はその完全性に向けて希求せざるを得ないのだという。

ところで、こうした人間と神性の一致には少なくとも2つの大きな意味があるだろう。
1つは人類の無限の可能性を拓くことであり、本源価値の追求という最も希求すべきことに邁進できるという点。
いま1つは人類に時制の観念がある限り、拭い切れない“未来への不安”を、本源価値により他者と結びつき一体となることで、突破できるということである。即ち、私権を捨て我執を乗り越える中に、弧絶の不安は霧散するのである。

なお、このような人間と神性なるものの一致、或いは自他の一致は実はホイエルバッハから逆上ること2000年前に既に仏教により説かれているものでもある。(そういった点では仏教なるものは精霊信仰後の、守護霊信仰、古代宗教などの捏造の流れと必ずしも一致するものではない)

或いは、現代でいえば心理学者マズローが提唱し広まった欲求5段階説の最高次に位置する「自己実現」ともかなり一致するものがある。(リンク
いずれにせよ、このような本源性を臨む姿勢こそが認識革命の熱源なのであり、可能性の在り処なのだと感じた次第である。

概ね以上だが、今後も本源価値の掘り起こしと、その視座から事実認識に迫るという構えを忘れずに対話を進めて参りたい。
 
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200177 超国家・超市場論を終えて 中山寛太 09/02/21 AM00

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