>この『必要か否か』という判断機能は、存在(本能・共認・観念)を貫く、極めて基底的な地平にある判断機能である。あるいは、全ての生物に備わっている不可欠の生存機能であると云っても良い。
この『必要か否か』という判断機能もそうですが、共認充足を求める可能性探索の機能も、或いは危機察知の機能も、現代人は悉くこれらの判断機能がまっとうに働いていない状況と言えます。
これは私権観念が邪魔していたからに他ならず、私権観念が瓦解した近年に至っては、それに代わる新しい観念が登場してこなかったからだと言えます。
今回改めてこの投稿を読んでの気付きは、『必要か否か』という言葉の持つ意味が非常に大きいと言うことです。大きいという言葉だけでは表せないほど、重要な意味(価値)を持つ言葉だという事が分かります。
このような重要な言葉が、言われてみれば普通で当たり前の言葉だが、潜在思念に繋がる観念として表出されるだけでこれだけ大きな影響力を持つのです。
素人の社会活動もこんな素朴な発信から繋がり、広がっていくのだと思いました。 |
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