西洋医療と東洋医療
199351 『快癒力』篠原佳年著(2) 〜病気は自己を成長させるチャンス〜
 
復讐の叫び 09/02/09 PM05 【印刷用へ
続きです。

「病気になることは捨てたものではない」という部分に共感を得ました。自身の身体の状態を症状として発信する身体の声を大切にする必要があると感じます。また、これらを乗り越えることで、身体の適応能力も向上されていくという認識は忘れがちです。今一度、悪いところがあれば医者にいけば直るといった思いを捨てる必要があると感じます。人間は500万年もかけて適応してきました。その大切な機能である自然治癒力を今一度見直しが必要だと思います。

『快癒力』篠原佳年著 
2012年の黙示録 『快癒力』より引用します。リンク

以下引用です。

■病気になるのも捨てたものではない

 自然治癒力という言葉を聞いたことがあると思います。体には、医者や薬の世話にならなくても、きちんと癒すシステムが備わっているのです。病気が治るのが自然治癒力だとすると、病気になるのは自然治癒力が弱まったときということになります。しかし、病気が治るだけが自然治癒力ではない。病気になるのも、実は自然治癒力なのです。

 たとえば何か悪いものを食べたとします。食あたりで下痢をする、嘔吐をする。これは見かけは病気です。しかし、私は下痢も嘔吐も自然治癒力だと思います。なぜなら、下痢や嘔吐は、体に侵入した悪い食中毒菌や異物を早く体外に出そうとする作用です。体をもとの健康体に戻そうとする意味においては、このような症状も自然治癒力と考えられるのです。

 こういう考え方をすると、体が異変を起こしたとき、それをあわててもとに戻そうとするのは間違いであることがわかります。病気をすべて悪者にするのがおかしいのです。病気はどこかバランスがよくないことを教えてくれている。そしてバランスをとろうとしているのです。病気になったら、自分のどこがいけないのかを考えてみるという姿勢が必要です。

 私のところへはリウマチ患者さんが大勢来られますが、私が前から気がついている不思議な事実があります。それは、リウマチにかかった人でガンを患う人はほとんどいないといってよいことです。

 ある病気になることは別の病気を防ぐことであると考えれば、自分の病気への愛情も出てくるというものです。

 「病気を不運だと考えたり、不当だと考えることは治癒の妨げになる。病気を成長のための贈り物だと見なせるようになったとき、治癒系のブロックがはずれ、治癒が始まるのだ」(アンドルー・ワイル著『癒す心、治る力』角川書店より)

 実際に多くの患者さんに接していると、難病の人で地位、名誉、財産などにこだわっている人は一人もいません。この人たちがとらわれていることは、ただ病気だけなのです。

 病気が治ってしまえばどうなるのかはわかりませんが、少なくとも病気にならなければ「考えない」「わからない」ことが絶対にある。そういうことを考えるチャンスを与えるために病気が与えられるのかもしれないという見方もできます。

 病気は自己を成長させるよいチャンスといえます。人間は三日生死の境をさまようと聖者になれる、といいます。病気になったら「自分を考えるチャンスが訪れた」と前向きにとらえることです。

■助けるつもりで命を奪っていないか

 現在の医療現場で行なわれていることを、みなさんはどう思われますか。

 病院だから病気の人を治しているだろう、医学は進歩しているから、いまは治らない病気もやがては治るようになるだろう――もしこう思っておられるとしたら、失礼ですがかなりお人好しの見方といわなければなりません。

 医療現場がやっていることは、そんなことではありません。患者さんに病名をつけて、ほとんど治らない治療を施し、症状は少し和らぐが副作用の恐れのある薬を出し、そしてほとんどの患者さんを治していません。

 立派に見える医療施設や装置の大半は病気探しの検査に使っているもので、病気治しとはあまり関係ないのです。それでも当事者たちは悪気でやっているわけではなく、彼らなりに精一杯のことをやっていると思っているのです。そういったことに慣れてしまったのです。

 救急の患者が病院に担ぎ込まれると、医師も看護婦も「なんとか助けよう」と必死になります。その場合にだれもがやろうとすることが、症状の安定ということです。呼吸が苦しそうなら、呼吸を整えさせようとします。しかし、これが大変な間違いだとは気づかないのです。

 呼吸が荒いということは肺が一生懸命に息をしようとしていることです。息をするのはそれが必要だからです。体のなかの酸を二酸化炭素として肺から出そうとしている。だから息を止めてはいけないのです。

 ところが息が荒いのは見た目には苦しそうに見える。そこで看護婦さんも家族も「楽にしてやりたい」と思い、酸素マスクをかぶせたりする。酸素を吸うと、当然呼吸回数が減ってくるから、体の酸が出せなくなる。体はアッという間に弱ります。

 見た目は息が穏やかになって「落ち着きましたね」などと喜んでいるのですが、実は患者さんは二度と帰らない旅に出ていこうとしているのです。

 なかには生命力の強い人がいて、酸素マスクをはねのけたりする。そうすると「暴れています」などといって、今度は鎮静剤を打つ。鎮静剤を打たれると筋肉が弛緩して、ますます息がしにくくなる。これでは助けるつもりで、逆に命を奪っているのと変わるところがありません。それでもだれも悪意はもっていない。みんな当たり前のことをしているつもりなのです。「おかげさまで静かな息をしています」「よかったですね。しばらく様子をみましょう」。いくら様子をみても、患者さんが生きようと最後にふりしぼった力を邪魔して削いでしまったのですから、よい結果か出るはずはありません。

 これはほんの一例ですが、西洋医学というのは、目に見える症状の改善にばかり意識を向けていて、病気の本質というものを見誤っている。いまのやり方を続けているかぎり、病気はほとんど治らないし、それどころか病気になる人はますます増えていくでしょう。私は医者になって20年がたちますが、現在の医療のあり方を根本的に改めることなくして、病人と医療費だけが増え続けるという事態を変えることはできないと思っています。

以上引用終わり。(3)に続く。
 
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