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1988 |
現状の「科学的事実」と言われているものの怪しさ |
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蘆原健吾 ( 30代前半 神戸 広報 ) |
01/03/23 AM01 【】 |
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学生時代、研究室で実験系を組むときに、いかにすれば望み通り(仮説通り)の実験結果が得られるかに研究室のメンバー全員が(教授の指導を受けながら)知恵を絞って実験を繰り返している姿を見てきました。恣意的にほとんどのパラメーターを固定し、あるパラメーターのみを変動させる。極端に言うと、「自然」をたたいたりひっぱったりつねったりして望み通りの結果を吐き出させる、といった感じです。
プロの研究者もどうやら似たようなことをしているらしいことを知り、一学者が勝手に「定義」したものを信じるという事にすっかり逡巡するようになってしまいました。
また、現在「定説」といわれている説が、もしかして恣意的な大きな前提の上に成り立っているのではないかと、研究室を離れて外から見ると、あらためて思います。
だからと言って、認識を何も固定せずに議論は進められないのですが…
例えば、集団遺伝学や進化論でよく用いられる、「適応度」にしても、「進化速度」や「分子時計」にしても、全て、現状をざっくりと把握しやすいように仮定を立てて数値化し、便利で使いやすいようにしたもの、と考えられます。それはたしかに、自然を捉える際にそこそこ有用であり、対象に対する認識は深まったとは思います。しかし、もともと、ざっくり把握するために「仮定」を置いているということを忘れて、公式のごとく使用するのは本末転倒でしょう。
そもそも、生物も環境も複雑系です。線形の系として捉えて分かるのは、ごく一側面に過ぎないでしょう。
「線形の系」として安易に「定義」して安易に「検証」して、生物を分かったような気になるという時代は、もう終わりなのではないでしょうか。現在、科学は、非線形の系を説明する言語を模索している最中だというのが私の認識です。
だからこそ、現状の「生物学」において「事実」とか「定説」とか言われている物事を捉える際には、慎重でありたいわけです。 |
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