食が「土」を離れる時代。東洋の叡智「身土不二」の考えをもとに、「土」と関わる生き方、地に足のついた食と農を求める。リンク
以下、本文抜粋
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■いま、なぜ「身土不二」なのか?
・人の命を支えているものは食べものである。食べものは土が育てる。海産物だって海底の土や森林から選ばれる諸要素によって生きているから、もとはといえば土が育んでいるようなものだ。したがって、土が人の命、命は土、人間は土そのもの、すなわち※「身土不二」ということになる。
※「身土不二」
「体と土とは一つである」とし、人間が足で歩ける身近なところ三里四方(十二`四方)、もしくは四里四方(十六`四方)で育ったものを食べ、生活するのがよいとする考え方。生物とその生息している土地、環境とは切っても切れない関係にあるという意味合いで使われる。
・農業の縮小、消滅が意味するところは、健康の消滅、病気の増加、精神や肉体の破壊、滅亡への道筋であり、それが今や現実のものとなってきた。多くの人たちがそのことに気付いて、何とかしていこうというのであれば、それに呼応して動かないわけにはいかない。
■手の届くところにある「食と農」
・気候風土、歴史、生活習慣、社会システムや文化が異なる各国の農業を比較することは難しいが、日本の農業にとって圧倒的に有利な条件が一つある。それは、生産地のすぐそばにたくさんの消費者がいるということである。私たち自らが消費者であると同時に、たくさんの消費者に包まれて生産しているようなものである。こんな国は世界中にない。その土地の農業生産と、その周辺に住むたくさんの消費者とをどう繋ぐか?これが、農業の生き残りの課題であり、消費者にとっても環境と健康を守り、破滅のサイクルから抜け出す道ではないか。
・土地のものを土地の人が食べることのできない仕組み
青果市場において、市場の占有率の確保は有利販売の条件であり、その実績によって価格補償が行われるため、指定産地の青果物は根こそぎ指定消費地の市場へ共同出荷される。よって、都市消費者は全国各地の青果物がふんだんに食べられるようになったが、同時に生産者の顔は見えなくなった。一方で、農協が共販に力を入れている産物ほど地元消費者は食べられないという構造が出来上がってしまった。これが農業の地域離れを生み出した。
■地域自給の実現に向けて
・一度、各自治体の全農産物の自給率を、品目ごとに調べてみたらどうか?(物量か金額ベース)
地域の特産物はすでにでき上がっているわけだから、その拡大ではなく、「地元優位」に立って、なるべく遠くから運ばれてきているもの、つまり、流通コストのかかっているものから狙い撃ちして作り、地元に供給していく。基本的に○○市の農業は「○○市民の台所化」をめざすのである。
・現在の農村で、新たに三億円の特産物を育てることは困難だが、1000戸の農家が各三〇万円の自給をすることはそれほど難しくなく、合計で三億円の特産物を育てたのと同じことになる。市民の参加や体験などを組み込んでもいいだろう。高齢社会に向けての生きがい対策にもなるし、帰農者の雇用の場にもなり、なにより地元消費者に喜ばれ、健康維持に貢献し、地域社会の地盤沈下に歯止めがかけられる。 |
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