>社会の問題を解決し、社会を統合するには、人類と社会についての構造認識(⇔事実の認識)が必要である。(18572観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平)
構造認識が必要の意味はこの投稿の通りと思う。
最初に読んだ時は、潜在思念だけでは社会問題は捉えられない→構造認識が必要と読んでいましたが、理解が浅い事に気付きました。
それは、「知識より知恵=日本の匠の原点」(192880)、(192882)とあわせて読むことで見えてきました。
この投稿の「知恵」「技術」とはまさに、潜在思念の実践思考の結果なのだと思います。
そして、「知恵」「技術」とは、職人達の学ぶ=真似ぶことの継承で発展してきました。
あまり良いイメージでは言われませんが、「格好から入る」「形から入る」という言葉があります。
職人は弟子に何も教えないと言われますが、そこでの技術継承は、形をまねるところから入るのでしょう。
しかし、よく考えてみれば、形から入るということは、
全体を捉える→完成形を捉え、そこから、何で? を考える→充足イメージから活力を伴い追及する
ということです。
そして、追求の限界点で、「観念が必要とされる地平がある」のだと思います。
先の投稿でも、まず本源派=実現派の発生について書かれています。そして、投稿から7年が経過し、実現派だけでなく、我々自身も潜在思念での実践思考にの限界を感じ始めている状況となっているのではないでしょうか?
先の金融破綻は「まずい」と感じつつ、実際に派遣切りなどの報道を目の当たりにしても、「どうする?」の答えが見えない。
多くの人が、潜在思念の限界を感じつつ、何らかの実践思考をしている状況です。
だからこそ、構造認識の必要性は爆発的に高まっていて、多くの人が構造認識を必要とするからこそ、その内容の論理整合性=誰でも納得できるによって、社会が統合されるのだと思います。
また、「知識より知恵=日本の匠の原点」(192880)、(192882)の投稿は、構造認識による現実生活での実践の必要性も語っているように思います。
構造認識も頭で同化するだけでなく、使うこと(実践する事)=真似てみる事が重要なのではないでしょうか。 |
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