日本人の起源(縄文・弥生・大和)
188877 新羅の歴史(新羅の高官はいつ日本に入ったか?)
 
田野健 HP ( 48 兵庫 設計業 ) 08/10/04 PM01 【印刷用へ
新羅の歴史は不思議である。その歴史はまさに虎の威を借りた猫である。

三韓の発展形として国家に変遷したのであるが、文化的にも制度的にも最も遅れていた新羅が2世紀余りの間に半島を統一する国家に成長した。
唐、高句麗、百済という強国の中央に位置していながら、互いの利害を風見鶏のごとく利用し同盟国を乗り換えることで結果的に強国高句麗にも勝利する。また新羅はその成立過程からすでに高句麗の属国ともいえ、高句麗の人、文化との交流がかなりあったものと思われる。
百済と日本、新羅と日本の関係を見ていく場合、一旦この新羅の歴史の特殊性を押さえておく必要がある。

@【新羅の発生〜高句麗の属国?】
新羅は辰韓の発展により4世紀初めに建国。同時に百済、伽耶も国に発展していく。4世紀末には勢力を増した高句麗の影響下におかれる。

A【新羅建国〜百済と手を結ぶ】
高句麗の影響下で新羅は国力をのばすと高句麗と対抗していた百済と同盟を結ぶようになった。五世紀後半には新羅―百済で高句麗と対抗するようになる。6世紀には正式に新羅を名乗り当事者が王を名乗る。王は世襲制に変わって、安定してくる。法興王(514-540)のときに律令制を整え、中国北部の遼と関係を結び、仏教を公認した(532)。受容までかなり時間がかかったようで、百済や高句麗に比べて、三国の中ではもっとも遅く、日本に仏教が定着した550年頃までかかる。

B【三国の緊張関係】
百済が高句麗から奪い返した漢城を新羅が奪うことで、百済、高句麗、新羅の三国は決定的に対立するようになった。こうした中、新羅は伽耶を滅ぼしたり朝鮮半島北部の咸興平野までその領域を広げたが、566年に中国北斉に冊封された。

C【朝鮮半島統一〜唐と手を結ぶ】しかし、新羅は泰安半島を支配したことにより、中国との交易路ができあがった。さらに善徳王(632-647)の時に三国統一の動きが始まった。百済との対抗が山場になったときで、金春秋(後の武烈王)を日本や高句麗に派遣して協力を求めたが、両国とも拒否したため唐に援軍を求めた。唐は高句麗を滅ぼしたかったので、新羅と結ぶことで南北から高句麗を挟むことができた。武烈王と次の文武王(661-681)の時に三国統一が行われ、唐との連合によって百済(660)、高句麗(668)が滅ぼされ、日本と百済が行った白村江の戦いにも勝利した(663)。

D【日本制圧、唐との戦争〜停戦】
新羅の勝利で、百済・、高句麗から日本へは大量に人が渡来し、日本は新羅、唐に備えて急遽朝鮮式の山城を築くなど臨戦態勢に入った。唐は百済、高句麗を支配し、引き続き新羅を支配しようとしたので、新羅は671年、唐と戦争を行った(羅唐戦争)。しかし、唐は新羅を攻めきれず、676年新羅と唐が停戦した。

E【新羅の発展・栄華〜高麗に敗れる】
新羅が三国を統一したことで、華やかだった百済文化の影響を受けて新たに発展した。特に仏教や儒教が発達した。935年高句麗の末裔である高麗に滅ぼされるまで270年間余り朝鮮半島を統一した。
参考リンク

※上記の年号を見ていくと日本と新羅の出来事に微妙な関連がある。
新羅が百済660ー高句麗668−日本663−唐671-676と戦争を繰り返す中、日本でも天智661-671 ⇒天武673-686と天皇が移行している。

白村江663の戦いの後、唐と新羅は九州に7年間(663-670)2000人の軍兵を置いて日本を監視している。大量の貢物を唐に贈る事で九州の攻撃を未然に防いだが、天武天皇はその3年後に即位している。あたかも唐が引き上げる条件として天武を唐の大使として日本に残したのでは?と伺わせる年号である。

また壬申の乱672は新羅が唐と戦った翌年に起こっている。
新羅が唐と戦乱を起こしている間を狙って天智天皇が天武勢力を解体するために壬申の乱は起こされたのではないか?
天武=新羅の高官説?はこの辺りからも浮上してくる。
 
  List
  この記事は 188852 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_188877
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
189288 質問です〜天智天皇が天武勢力を解体? 匿名希望 08/10/09 PM03
189281 天武天皇の出自の謎 村田頼哉 08/10/09 PM01
189195 百済の歴史(天皇家は百済の王族そのものでは?) 田野健 08/10/08 PM00

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

「合同板」必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置
新しい潮流10 外向仲間収束は、観客から協働者への移行の土台となる
新しい潮流11 外向仲間の拠点(収束核)が、認識形成サイトである
新しい潮流12 外向仲間の本質は認識仲間である
新しい潮流13 認識仲間の実現基盤
新しい潮流14 社会空間における本源共認の実現形態
認識形成サイト1 認識仲間の演場となる拠点サイト
認識形成サイト2 単なる共鳴・伝播と参加・協働の違い
認識形成サイト4 市場原理の観客読者と本源原理の協働読者
発信欠乏は、喉元まで出かかっている
認識の営業は、相手を選ばない
対象は、ネットに馴染んでいない普通の人々
認識営業の『まつり場』こそ、『原初の社会』である
新しい社会の原基構造
認識を伝えた相手にも、同じ充足感を味わってもらう
認識営業の条件:対象はあくまでも新しい相手
私達は「気付き」始めた
本当にどんどん広がってる!
新たな世代間対立の始まり
みんな期待に応える場では、全員が供給者=需要者
サークルの引力と交流会の引力
バラバラだった社会現象が、交流会では繋がっていく
心斎橋(アーケード)路店でA
心斎橋(アーケード)路店でB
心斎橋(アーケード)路店でC
「次は、路上の時代になる!」と言い切った、その女の子。
共認運動の最前線(なんでや露店)と後方基地(なんでや勉強店)1
勉強って、こんなにも面白いものだったとは!
なんでだろう?を超えてしまった高校生
おばちゃんの表情に見る社会不全の表出
なんで屋さんはなんでも屋になれる
否定を超えて可能性基盤へ 
大衆の言葉の変化もプラス思考で
発信するために、受信する
ツイッターで、ひたすら皆の役に立つ事実を伝える。自らが媒体になりきる。

『るいネット』は、47年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp