日本人と縄文体質
188775 アラハバキ(土着の神)と客人神(まろうどがみ)=融合支配の一例
 
丸一浩 HP ( 知命 滋賀 農業 ) 08/10/03 AM10 【印刷用へ
■縄文時代から弥生時代、そして大和朝廷成立(=国家の成立)の歴史には日本特有の状況があります。
 その中の一つに【融合】或いは【取り込み】と言うような共認原理に基づいた支配様式、集団統合の様式があると思います。
 その象徴的な事例として、東北・関東の〈荒脛巾(あらはばき)神〉,南九州の〈門守(かどもり)神〉などと客人神の存在を紹介します。
 支配者側が元々の【精霊信仰】の対象であった被支配者側の【土着神=アラハバキ】を【客人神=まろうどがみ】としてそのまま取り入れ、これが現在にまで脈々と残っている(この逆もあるようですが)と言う事例です。
 以下【縄文の風】リンクの記事です。
●アラハバキ リンク 
〜以下抜粋して引用〜
 今回の記事は、武蔵国一宮・氷川神社リンクの片隅にある小さな祠である「門客人神社」についての考察です。
 氷川神社の歴史は古く、神社の看板などによれば2400年ほどの歴史を誇るそうです。
 氷川神社の主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命。この三柱の神々は、氷川神社でも最も目立つ、緑と朱が美しい楼門のさらに奥にある社殿に祭られています。
 しかし氷川神社には、これらの主祭神以外にも、多くの神々が祭られています。もっとも彼らは、それぞれ主祭神の社殿と比べると、ずいぶん小さな祠に祭られているのですが。
 こうした祠の中でも、特にわかりづらい場所にあるものの一つが「門客人神社」。
 この門客人神社に祭られているのは「足摩乳命・手摩乳命」リンクという神様。
 日本神話では、スサノオのヤマタノオロチ退治の話に登場する「アシナヅチ・テナヅチ」として知られています。
 なお、門客人神社、元は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたとのこと。ちなみに「アラハバキ」とは土着の神のことで、ウィキペディアでもこのような記述があります。リンク
 さらに言うなら、縄文時代には蛇信仰がありました。
これらのことを考え合わせると、この門客人神社の神々こそが、元々この土地で信仰されていた神々であり、時代が下るにしたがって、他からやってきた神(この場合は主にスサノオ)と立場が逆転して、現代に至っているという見方をするのが自然でしょう。
 このことを日本史に照らし合わせると――縄文時代以前から続く土着の信仰が、弥生文化およびそれに続く大和朝廷の影響を受けて変貌・弱体化し、「門客人」「アラハバキ」という形に変わっていったというところでしょうか。
 また、前述の「蛇」に関してさらに言及するならば、縄文人は蛇、特にその生命力を信仰の対象としていたということが、縄文関連の多くの書籍で指摘されています。
 氷川神社の主祭神が、これまた蛇神であるヤマタノオロチを退治したスサノオであることを考えると、この神社の存在は、蛇に象徴される自然の力が、スサノオに象徴される人間および智慧の力に征服されたということを示すものとも言えます。
 重ねて、アラハバキおよび門客人、そしてスサノオや大己貴命(オオクニヌシ)とのつながりの深い出雲は、製鉄と密接な関係があるともいわれています。ヤマタノオロチリンクの尾から出た天叢雲剣リンクもまた、製鉄技術の象徴でしょう。
 こう考えると、氷川神社の歴史は、人間と自然、そして資源や技術を巡る、人類の歴史の縮図ともとれます。
 ただし、ここでのポイントは、単純に「スサノオ=悪」「アラハバキ=善」(もしくはその逆)といったものではなく、スサノオが主神となった後も、アラハバキが完全に闇に葬り去られることはなかったということです。
わたしが思うに、このアラハバキ(=古代の信仰・叡智・価値観)の存在は、スサノオ(=現代文明)の暴走の際のストッパーとして、あえて残されているのかもしれません。
●客人神(まろうどがみ)リンク
〜以下抜粋して引用〜
まずは平凡社の『世界大百科事典』からの引用です。
客神‖客人神 まろうどがみ
神社の主神に対して,ほぼ対等か,やや低い地位にあり,しかしまだ完全に従属はしていないという,あいまいな関係にある神格で,その土地に定着してから,比較的時間の浅い段階の状況を示している。ふつう神社の境内にまつられている境内社には,摂社(せつしや)と末社(まつしや)とがある。摂社には,主神と縁故関係が深い神がまつられており,末社は,主神に従属する小祠である場合が多い。客神の場合は,この両者とも異なり,主神のまつられている拝殿の一隅にまつられたり,〈門(かど)客神〉と称され随神のような所にまつられ,まだ独立の祠をもっていないことが特徴である。東北・関東の〈荒脛巾(あらはばき)神〉,南九州の〈門守(かどもり)神〉などはその一例だが,なかには普通の境内社より大きな一社を別個にたててまつる例もある。客神はちょうど人間社会における客人の扱いと同じで,外界からきた来訪神(らいほうしん)を,土地の神が招き入れて,丁重にもてなしている形である。客神が,けっして排除されることがないのは,外から来た神が霊力をもち,土地の氏神の力をいっそう強化してくれるという信仰があったためと考えられている。氷川神社の門客神神社,気比神宮の角鹿(つぬが)社,厳島神社の客神社,美保神社の客人神社などは,有名な大社にまつられた客神の代表例である。

 氷川神社の場合、前の記事でも書いたように、「客」はスサノオの方だったんですが。
 もっとも日本神話なんて、こんなことの繰り返しで、その最たるものが「国譲り」リンクだったわけです。
 ちなみに「国譲り」に関しては、井沢元彦氏はその著書『逆説の日本史』の中で、「オオクニヌシは本当は処刑か自殺」という仮説を立てておられますが、この神話、たしかに普通に考えたらそう取れますね。
 ここで天津神がなした行為は、ぶっちゃけ侵略と略奪以外の何ものでもありません。記紀には比較的スムーズに(タケミナカタの反抗があったとはいえ)国譲りが行われたかのように書いてありますが、苦労して作った国を誰が「はい、どうぞ」なんて渡すでしょうか。
 しかし「征服者」たちの宗教は多神教だったので、キリスト教のような一神教とは違い、異教を徹底的に抹殺することはせずに「客人神」として取り込んだのでした。
本来ならばとうに滅びていてもおかしくはない縄文時代の信仰が、現代まで細々と受け継がれてきたのは、こうした背景が大きいのです。
〜引用終わり〜
 
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189732 稲作及び稲作農耕神話の成立過程@〜江南・半島から北九州へ 山澤貴志 08/10/15 PM01

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