日本人の起源(縄文・弥生・大和)
184427 【要約】『邪馬台国論争終結宣言』山形明郷著〜B倭の大半は朝鮮半島にあった。
 
谷光美紀 ( 30代 愛媛 経理 ) 08/09/01 PM10 【印刷用へ
■倭はどこにあったのか
「弁辰は辰韓と雑居す。亦、城郭あり。衣服居処は辰韓と同じ。言語法俗あい似たり。鬼神を司祭するに異なるあり。施竈(しそう:かまどの意味)みな戸の西に在り、そのトク盧国(とくろこく)は倭と界を接す。(『魏書韓傳』)」
「接」の字義は、音は「妾(しょう)」、意は「執(と)る」であり、是の延長的解釈が「交わる・徒(つ)ぐ・着く」等である。従って、馬韓と弁辰の南界は、共に「倭」と称された国と地続きの状態であった。とすると、遼東半島全域を韓の領域とは見れなくなり、南界がある。『金史・遼史』の記述によって勘案すると、渤海海峡及び黄海に面した遼東半島最南端地区が倭だったと判断できる。

そうすると、「楽浪海中倭人あり(『漢書地理志燕地の條』)」も頷ける。楽浪海とは遼東湾のこと。また、「蓋馬(げま)は県名、玄菟郡に属す。いま、蓋馬を案ずに、疑うらくは、もと蓋国の地ならん。鉅燕(きょえん)の南、倭の北に在り、倭は燕に属す。『山海経巻12海内北経』」」の記述も、「蓋国・蓋馬は大燕の南に在り、又、倭の北に位置した」のであるから理解できるのである。

また、『魏志倭人伝』の記述である、「倭人は帯方の東南、大海中に在り、山島に依って国邑を為す。もと百余国、漢の時、朝見する者あり。いま使譚(しえき)の通ずる所三十国。郡より倭に至るに、海岸に循(したが)い水行し、韓国を歴(へ)るに、乍(たちま)ち南し乍(たちま)ち東し、その北岸、狗邪(くや)韓国に到る。七千余里。」とも合致する。
遼東半島の東南に位置する大海は「黄海」しかない。また、山島とは半島の古語別語であるので、朝鮮半島方面を指す。「郡より倭に到る」の群とは帯方郡のことであり、「歴る」とは「通過する」という意味である。上記『魏志倭人伝』を意訳すると、「倭国行きの船が遼東半島南端の普蘭店湾(ふらてんわん)を通過し、航行の針路を南へ東へ幾たびとなく目まぐるしく変更させ乍ら、狗邪(くや)韓国に到る」となる。
狗邪(くや)韓国がどこであるかは、一旦日本の史家達の間で、現在の韓国慶尚南道の釜山金海地方、或いは馬山辺と言われているのに則った。七千里がどのくらいかは唐代の官吏が船を使って出張する際の水路里程の基準から計算すると、およそ46日〜2ヶ月と10日ほどになる。『隋書巻81列傳第46百済傳』に百済からた牟羅国(たむらこく:現済州島)まで3ヶ月かかったとの記述があるので、妥当ではないだろうか。

また、『後漢書巻90鮮卑傳』に「東、倭人国を撃ち」との記述がある。西暦170年〜180年頃、鮮卑は遼寧北部から移り、遼西と遼東方面に拠っていたので、そこから鮮卑の騎馬軍団が陸路侵攻しうる範囲に倭国があった。よって「倭国」が海を隔てた古代の日本ではなかったことが立証される。

※倭奴国とは「倭国の極南界なり。(『後漢書巻85』)」とあるので、当然朝鮮半島南端方面を指す。ところが志賀島発見の金印をもって、是が非でも北九州方面へ位置づけようとするむきがある。しかしながら、その周辺は古墳群や邑落集合跡などの存在が確認されていない田畑であり、発見された金印だけでは決定的物証として弱すぎよう。

定説の三韓所在地:リンク
山形氏説の三韓所在地:リンク
帯方郡から倭に至る行程略図(倭の所在地):リンク
 
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