《なんで屋露店》では「この店の目的は一体なんですか?」「それでなにか他に社会運動をしているのですか?」という質問を受けることが多い。
目の前で見ている《なんでや露店》それ自身が社会運動のひとつと思ってもいいのにどうしてそういう質問をあえてするのか疑問に思った?
そこでなんでやは世直しをする場で『社会は人々の意識で出来ている。だから認識形成が社会を変えることになるのだ。いままではそういう場はなかったし、いかに創ろうとしてこなかったのかを考えてみてください』というとようやく納得する人も多いのです。
たしかに従来の社会運動というと、署名運動やデモ行進などが思い浮かぶ。それは要求だけの社会運動といってよいが、一般にはそれこそが社会運動だと信じ込まされていたのではないだろうか。
選挙活動や街頭で声高に叫ぶことNPOなどに参加すること。これらの活動は概して社会に対して一方的発信であり、本来社会運動と呼べるものではない。まして政治家にならない限りは法律はおろか制度ひとつもつくりだすことは出来ない。
むしろ我々は人々は選挙制度をその根幹とする民主主義という言葉に騙され、社会運動というまつり場に参加しているつもりにさせられてきたのではないか。
>それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。・・・『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。従って、人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく。<32085
人々は認識形成の場に参加することで、初めて従来の社会運動そのものが、実は人々を認識形成から遠ざけていたことに気がつきはじめたのではないだろうか。
そしてまさに《それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる》のだ。
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