こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。これが、サル・人類の意識の、第一の統合様式たる共感統合の原基構造である。(実現論1_4_05)
自分以外は全て敵と捉える性闘争本能の流れを汲む原猿。そんな本来は敵同士だったはずの原猿同士がどうして仲間になりえたのか?この大転換の理由がイマイチ分からなかったのだが、『メス』と『世代』いう言葉を組み込んで考えると、その理由が少し分かったような気がした。
まず、オス同士が縄張りを争って闘う。そこで負けた猿はメスも縄張りも得る事が出来ず、本来は死ぬ事になる。しかし、餌だけは樹上に潤沢にある為、弱オスはメスも縄張りも得られないが、外敵に襲われない限り死ぬ事は無い。そうして死ぬ事も出来ない弱オス達は、餌を求めて強オスの縄張りの周りをウロウロせざるを得なくなる。
しかし、不全を受けるのは実は弱オスだけでは無い。強オスにしたって、死なない弱オス達が縄張りの回りをウロウロウロウロして、強オスの目を盗んでは餌を虎視眈々と狙ってくる。本来、オスが縄張りを得るのは餌を得る為であって、その餌は縄張り内のメスの餌でもある。つまり、本能不全が直撃するのは弱オスはもちろんの事、縄張り争いの勝者でもある強オスにも直撃するのだ。
では、強オスはどのようにして本能不全を解消するか?ここでメスの期待を受け続けるオスはやはり、『メス』に強く収束するしかない。こうしてオスメス解脱共認が形成され、次なる『世代』へと受け継がれていく。そして、オスとメスが依存しあう関係の中で生まれ育ったサル達が成長し、新たな縄張り闘争を繰り広げていくのだが、闘争に敗れた際には、やはり親世代の弱オスと同様、縄張りの周辺に集まり、こそこそと餌を狙っていく事になる。
こうして世代を経ていくにつれ、次第に親和回路を持つ弱オス達が増えていき、そしてある時、上記のような親和回路を持つ弱オス達が互いの親和回路により、オス同士での共感回路を形成する事が出来たのだ。まさに人類は塗り重ねの構造。オスメスという期待応合の土台の上に、共認回路は形成されるのだ。 |
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