>それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。云い換えれば、『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。(32085)
『場』に参加するという大きな意味を実感レベルで多くの人が理解しているだろう。
参加するとは、意思表明であり、その場の圧力を受け、状況を把握し、場の秩序に則り、活力を持って、当事者としてその場を作っていこうとすることそのものである。
それは、すなわち、
「自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく」
ことであり、参加すること≒協働者になることと同じ。
この「場」の参加表明は、共認原理に転換した場(社会や会社、仕事の場面でも、学校でも、仲間の中など)では、最も重要なもので、共認形成の領域の中に自ら進んで参加するということに他ならない。その場の状況を肯定的に捉えること=場に参加しているみんなの期待を素直に捉えることそのものだ。
仕事が進まない、悩んでいる、閉塞感を感じる、活力が沸かない、うまくいかない、嫌いな人がいるなど、不全を抱えている場合は、まず、『場=祭り場』へ参加すること。それを表明することで、不全はいつしか、活力に変わっていく。その第一歩が、「場に参加する」という強い意志なのかもしれない。 |
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