>しかも、それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。云い換えれば、『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。従って、人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく。(「超国家・超市場論16 ゼロから、自分たちの『場』を作る活動」32085)
『場』に参加する“だけ”で場を構築する協働者となることができ、しかも国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)を構築できるのはなぜか?
それは、新たな社会統合の在り様が、新たな認識の創造と、その共認形成(過渡期的には共認域の拡大)だから。
であれば、認識形成の場に参加し、投稿を読むだけでも共認域がほんの少し拡大したと言えるし、ましては何らかの意見や考えを投稿=発信すれば、それがきっかけで新たな認識形成が進行する、あるいはそれが短い賛同投稿であっても、また一つ共認域の拡大が実現したことになる。
また、参加者が多くなればなるほど「まつり場」への期待圧力=引力が高まり、更に人々を引き付けることができる。
だから、まずは参加することが大事だし、誰もが参加したくなるような仕組みや規範づくりが重要になると気づいた。 |
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