アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
179253 国民からお金を集め(郵貯・簡保・厚生年金)て、戦争と市場拡大に使う(=財政投融資)。
 
井上宏 ( 40代 新潟 建築コンサル ) 08/06/16 AM01 【印刷用へ
明治以降日本の戦争は、国民から広く資金をかき集める郵貯etc→預金部という制度を抜きにしては考えられない。郵貯と簡保、厚生年金を運用する預金部資金が日清・日露戦争から太平洋戦争を支えた。

『お金崩壊』 青木秀和著 より
//////////////////////////////////////////////////////////////////
郵貯が制度化された前年には「佐賀の乱」があり、翌年には「神風連の乱」翌々年には「西南戦争」、簡易保険制度は第一次大戦中、厚生年金は太平洋戦争中であり、すべてに戦乱の影がつきまとっている。

・1871年(明治4年) 郵便制度開始
・1872年(明治5年) 財政投融資制度のプロトタイプ「準備金制度」を創設。その取り扱い規定には「郵便貯金は、大蔵省国債寮が預かり運用する」旨の規定が早くも明記されていた。
 
・1875年(明治8年) 郵便貯金制度
郵政制度の創始者・前島密の頭のなかには、最初から郵便と貯金を一体のものとする構想があったに違いない。明治政府は、江戸幕府の残した大借金と各藩に積みあがったこれまた莫大な累積赤字を、丸ごと背負って行財政を出発せざるを得なかった。そのかたわら、産業の近代化を急ぐ「殖産産業」と欧米列強国に対抗するための「富国強兵」を推し進める必要もあった。
前島は全国津々浦々に散在する情報と資金を中央に集める方法として「郵政制度」を練り上げた。

その後明治政府は、国債寮を国債局に改定して、1885年には国債局から郵貯を専ら預かる預金局を分離独立させる。と同時に国庫勘定に「預金部」を設置し、郵貯の運用は、この預金部に専管させることにした。

・1916年(大正5年) 簡易保険制度
これは「小口、月払い、無審査」という生命保険を国家独占事業として創設したもので、、それまでの民間にはない保険形態だった。これによって零細な資金しか持たない国民でも生命保険に加入できるようになった。

・1944年(昭和19年) 厚生年金制度
アジア太平洋戦争という大消耗戦によって、国家財政はさらに逼迫する。政府はこの苦境を乗り切るために、郵貯・簡保に加えて次なる預金部への強制預入制度の導入に踏み切る。それが「厚生年金」制度である。

郵貯、簡保、年金を運用する戦前の預金部体制は、大日本帝国の行った「軍需投資」にフル動因だれたあげくに、結局破綻した。
郵貯を含む全ての預金は、敗戦後間もなく引き出し禁止(預金封鎖)になり、引き出しが前面再開されたときにはインフレによって通貨価値が激減していた。

この預金部という制度は、戦後にほぼ無傷で生き残る。
・1950年 「資金運用部資金法」を制定。預金部に代わり「資金運用部を発足させ、戦後の財政投融資制度を構築。

郵貯・簡保・年金は、預ける側の国民にとっては大切な個人資産である。しかし、預かる側の政府にとっては税外の国庫収入という程度の認識でしかない。返済することにいっさい頓着することなく、あたかも税金と同じ様な感覚でこの「裏収入」を使い切ってしまうという悪弊が、そっくりそのまま戦後に残されてしまったのである。
//////////////////////////////////////////////////////////////////
(以上 抜粋引用)

戦前は、戦争の遂行のために、国民の富が政府に取り込まれされ、最後に破綻した。そして戦後は市場拡大のために国民の富が総動員されてた。そのためのシステムが、財政投融資それを支える郵貯・簡保・年金だった。
国民が消費しないで蓄えたお金を貯蓄とみせかけて、国家が使い込んでしまうシステムでもある。
この仕組みを支える郵貯・簡保を、親分のアメリカに要求されて、日本の統合階級がついに上納してしまったのが郵政民営化。(国家の屋台骨を支えるシステムを手放してしまったことの意味は?統合放棄?orアメリカ依存?)

 
  List
  この記事は 178994 への返信です。
  この記事に対するトラックバックURL  http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_179253
  ※トラックバックは承認制となっています。

 この記事に対する返信とトラックバック
財政投融資のはじまり 〜占領下アメリカひも付き資金からの脱却 「日本を守るのに右も左もない」 08/12/11 AM00
183607 民営化と規制緩和に次ぐ、日本の個人金融資産1500兆円をアメリカに流出させる仕組み作りが進行中 猛獣王S 08/08/20 AM07
「国民が国に金を貸す」郵貯+年金⇒財投の仕組は日本ならでは? 「日本を守るのに右も左もない」 08/07/23 AM00

[過去の記事へ]
[一覧へ戻る] [新しい記事へ]


◆実現論本文を公開しています。
 実現論 : 序  文
 第一部 : 前  史
 第二部 : 私権時代
 第三部 : 市場時代
 第四部 : 場の転換
 参考文献

 必読記事一覧
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28
大転換期の予感と事実の追求
実現論の形成過程
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(1)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(2)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(3)
自考のススメ1.未知なる世界への収束と自考(4)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(1)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(2)
自考のススメ2.現代の不整合な世界(問題事象)(3)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(1)
自考のススメ3.自考力の時代⇒「少年よ、大志を抱け」(2)
1.これから生き残る企業に求められる能力は?
2.私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
3.市場の縮小と根源回帰の大潮流
4.共認回帰による活力の再生→共認収束の大潮流
5.自我と遊びを終息させた’02年の収束不全
6.同類探索の引力が、期応収束を課題収束に上昇させた
7.情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口
8.大衆支配のための観念と、観念支配による滅亡の危機
9.新理論が登場してこない理由1 近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった
10.新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない
11.学校教育とマスコミによる徹底した観念支配と、その突破口(否定の論理から実現の論理への転換)
12.理論収束の実現基盤と突破口(必要なのは、実現構造を読み解く史的実現論)
近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機
新理論を生み出すのは、専門家ではない普通の生産者
現実に社会を動かしてきた中核勢力
私権時代から共認時代への大転換
市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)
民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
統合階級の暴走で失われた40年
大衆に逆行して、偽ニッチの罠に嵌った試験エリートたち
新理論の構築をどう進めてゆくか

『るいネット』は、46年の実績を持つ起業家集団・類グループが管理・運営しています。るいネットワーク事務局(Tel:0120-408-333, E-mail:member@rui.ne.jp