環境破壊
174784 キリスト教的妄想から生まれた近代科学@
 
匿名希望 08/04/23 AM05 【印刷用へ
『新しい科学論』(村上陽一郎著 講談社 1979年刊)という本がある。30年近く前の本ではあるが、近代科学の原点を知る上で重要な視点を与えてくれる著作である。

以下、第二章「新しい科学観のあらまし」第一節「文化史的観点から」の一部を要約する。

>なぜ、近代科学は近代ヨーロッパにだけ生まれたのか?
キリスト教的な「偏見」や「先入観」があったからこそ、近代科学はヨーロッパに誕生したのだ。

>地動説を唱えたコペルニクスはカトリックを信仰していただけでなく、カトリック教会の組織に属していた人物である。彼の地動説はキリスト教的迷妄を打破することで生まれたものではない。その著書『天球の回転について』は所属教会から出版の後押しされている。実際、コペルニクスの『天球の回転について』を読むとわかるが、コペルニクスの頭の中には次のような基本図式が存在している。この世界を神が造ったこと、そのとき神は整然とした秩序をこの世界に与えたこと、そうした神の秩序は、自然の中の至るところに読み取ることができること、こうした基本図式こそ、コペルニクスの「先入観」であり「偏見」であった。この基本図式から外れたことを何一つコペルニクスは考えたことがない。

>ガリレオの有名な言葉がある。「神は二つの書物を書いた。その一つは聖書、もう一つは自然そのものだ」。自然は神の書いた書物だ、自然の中には神の計画を書き録した言葉が満ち溢れている。それを一語一語読み取っていくことこそ、神の意志(神が自然を造る上での設計計画)を知ることであり、それが人間に与えられた最も大切な仕事の一つだという信念。それがなかったら、ガリレオもあれほど熱心に自然に取り組むことはできなかっただろう。

>ケプラーも絶対的な信念をもっていた。神がこの世界を造ったときに数学的秩序こそ神自らの合理性を人間に示す例証になると考えて、この世界を「合理的秩序」の中に置いたという信念である。だからこそケプラーは、惑星運動の第三法則を見つけるために何年もの間(気の遠くなるような)面倒な計算を繰り返すことができたのだ。実際、惑星の運動の第三法則を見つけたとき、ケプラーは躍り上って喜んだと言われている。彼の信念(偏見)が裏切られずに報われたからであろう。

>ニュートンも然り。物理学的な仕事をした期間は、ケンブリッジの大学生であった頃から十年間くらいで、その後の関心は専ら錬金術と神学に向けられた。ちなみにニュートンは、神の存在論的証明に心血を注いだデカルトを、神への不信心に連なる可能性があるとして厳しく批判している。

>彼ら自然科学者は、キリスト教的偏見や宗教的迷妄を捨てて在りのままに自然を見たから科学的真理を見つけたのではない。神がこの世界を合理的につくりあげたというキリスト教的偏見をもっていたからこそ、近代科学を生み出すことができたのである。

>このキリスト教的偏見には、大きく二つの立場がある。
一つは、神の力は「創造」のときに全面的に働いただけで、あとは自然界は神の最初の計画通りに動いているという立場(静的創造論)。もう一つは、神の力は「創造」の時だけでなく、今も働きつづけいてるというもの。この世界には常時神の手の介入があり、「創造」という神の行為も最初に創造された時だけに限定する必要はないという立場(動的創造論)。

>両説はお互いを、「神への冒涜」であるとして攻撃する。
静的創造論から見れば動的創造論は、神が最初に行った創造の手直しをしなければならないと主張し、神の全能性を冒涜しているように見える。動的創造論からすれば静的創造論は、神の働きを最初の創造の一点に限定することになり、神の遍在性(いついかなるときにも神はその力を示ししつつ存在すること)を冒涜しているように見える。

>デカルトは静的創造論に立ち、それに対してニュートンやパスカルらは、「デカルトはできることなら神なしですませたかったに違いない」としてデカルトを攻撃している。一方でニュートンはライプニッツから、「お前の言い分を聞いていると、まるで神は最初の創造の時に、計画違いをし、そのため繰り返し創造をやり直さなければならないと言っているようだ。それは神の全知全能に対する侵害である」と非難されている。<
(要約終了)

 
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