具体的『行動』に対してのお金は払えるけど、行動を起こすためのつながりや可能性を得る場の運営・向上にはお金を払えないのは、なぜなんでしょう?
「お金を払う」ということに対して、どうも一方通行的な感覚を持たれている方が多いように感じます。“お金を払ってでも…”とか“出費を惜しまずに…”とかいう感覚は、実際に見返りがないのにお金を払うことに対する警戒心のようなもの、お金=消費するためのものという無意識の前提から出てくるものだと思います。
○サイトや本物集団の紹介にもあるように、現代の社会に危機意識を持つ様々な団体や人が、実際に運動をされています。それなのに社会がなかなか変わって行かないのはなぜなのか?ごく普通の人たちの意識が変わらない→閉塞感はあるが可能性のある答えが見えないからではないのか?それぞれの団体や人が個々に実践していても、社会全体の問題やその根っこにある原因を見るための事実認識や、行動の為の有効なつながりが欠けているからではないのか?
るいネットの役割は、そういう問題に応えることではないのでしょうか。
それならば、お金を払うことは、その役割の一部を担うこと=社会変革に参加することになるのではないでしょうか。
もちろん、実際にどういうシステムにするのかは詳細な検討が必要と思いますが、まずこのお金に対する意識を変えなくては、前に進まないと思うのです。
|
|