暴走する悪徳エリートの所業
173589 マスコミの力の源泉は取材力や情報発信量ではない
 
西村秀彦 ( 32 滋賀 技術者 ) 08/04/05 PM10 【印刷用へ
テレビ業界に身をおく中で、テレビは社会全体に不必要かつ社会の進歩を阻害する障害物であるという結論に至り、テレビ業界を去った方が、マスメディアというシステムの核心について述べられていましたので、全文引用紹介しておきます。

////////引用開始////////
何だかんだ言ってもネット空間の情報ソースはほぼすべてマスコミだ、と先日コメント欄で発言なされていた方がいました。だからやっぱりマスコミにはがんばってもらわねばならぬ、と。このような印象を持っている人は多いと思うので、今回はそれについて少し書きます。

まず最初に言っておくと、情報ソースとしての役割はマスメディアというシステムの核心ではありません。

例えばテレビの夕方のニュースで送り手側のトップにいるのは、呼び方はいろいろありますが、いわゆる編集長です。きょうはこの未成年による殺人事件のニュースをトップにすえよう。同じ未成年の暴走ということで2番目のニュースはこれ。社会が壊れているのに遊んでる国会の様子が3番目。中国のこのニュースはボツだな・・・と<ニュース献立>を決める役職です。

マスメディアの核心はここにあります。どの情報をトップニュースにしてふくらませ、どの情報を落とすか、いわば情報に値段をつけることこそマスメディアの力の源泉であり、それに比べれば取材する能力などオマケにすぎません。取材力を一切持たないマスメディアは存在しますが、編集長のいないマスメディアは存在しないし、ありえないのです。

それに対してネットの特徴は、まさにこの編集長を必要としないところにあります。例えばグーグルニュースは編集長の役割をコンピュータに任せますし、ソーシャルブックマークなどは個々のユーザーが編集長になることに他なりません。ネットの発展は、マスコミが独占していた編集長の役割を解体していく過程といっていいかもしれません。

ぼくがマスメディアは退場すべきだと訴えるとき、頭にあるのはこの編集長としてのマスメディアです。再販制で守られた大新聞や電波を占有するテレビ局は、不特定多数の人々に情報を配信する手段がそれしかないという技術的理由で、社会における編集長の地位を独占してきました。しかし今やそれは唯一の選択肢ではなく、もともと危険で有害なシステムなので、この機会におとなしく去るべきだ、と確信するに至ったから、ぼくはテレビを捨てたのです。

ネットの世界が情報ソースを既存のマスメディアに頼っていることは、何ら負い目を感じることではありません。テレビだって、かつては独自のコンテンツ制作能力をほとんど持たず、ニュースなら新聞、エンターテイメントなら映画界に頼り切っていました。だからテレビ業界は、もちろん独自の取材力と制作能力を高めることに力を注いではきましたが、結局テレビをマスメディアの王様の地位に押し上げたのは、取材力や制作能力で新聞や映画界を追い越したからではなくて、圧倒的な露出力により、テレビに映るものに価値を与える権威をえたからです。

テレビニュースの取材者は、今も情報ソースを雑誌や新聞、そしてネットにも頼っています。そして「これはテレビ向きだ」と思うネタに取材をかけて放送します。するとその情報に価値があると見なされるようになるのです。大新聞にしても同様です。新聞の紙面でインパクトを持ちやすい情報は価値を与えられ、新聞で紹介しにくい情報は価値を持ちません。情報とはそういうものです。

ですからマスコミがいまだ巨大な権力を持っている現在、価値があるとされる情報がマスコミ起源になるのは仕方ありません。なにしろほとんどの情報は、そもそもマスコミに伝えられることによって価値を持つわけですからね。マスコミが退場すれば、どの情報に価値があるのかは、不特定多数の<ネット編集長>次第になります。そうなれば自然と情報をマスコミに頼る必要はなくなるはずです。

今マスコミにがんばってもらう必要は、一切ありません。

「情報ソースとしてのマスコミ」リンクマイネザッへより
////////引用終了////////

マスコミに対しては、その膨大な情報発信量に目を奪われて、それ故にマスコミにも存在価値があると思い込んでしまいそうですが、それが誤りであることが明確に分かります。
情報に価値付けをする編集長権限を独占することで、共認を支配しているのがマスコミの実態です。

“不特定多数の<ネット編集長>”は、我々一人一人です。
人々が個々の<ネット編集長>に留まらず、みんなにとって必要かの価値判断を事実に基づき協働して行っていくことで、まっとうな共認が形成される社会を創っていけるのだと思います。
 
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