>『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。32085
参加することが場をつくる。
これは、考えてみれば、実に当たり前のことだ。
場とは、共感する場所のことだ。
逆に言うと、共感するから場として認識されている。
共感するためには人が必要で、多くの人と共感すれば、それだけ共感の度合いも大きい。その大きさが場の魅力を形成する。ただ、より多きな共感を得られる場は、日常的にはあまり存在しないので非日常のイベントとして特別に理解されている。
集団動物としての我々は、日常のいたるところで共感の場を持っている。学校、会社、家庭・・・・・・どこでも共感を持っているからそこが場として感じられている。
学校や家庭などの日常的な共感の場には「参加する」という意識が伴っていないだけ。そこにいて共感している以上は、場に参加していることに変わりはない。
この当たり前の共感の場をつくろうと言っているのだ。
新しい点は、より多くの人と共感を得られる場に、日常的に参加するということだけだ。それ以外は当たり前のことと思う。
自分たちの場をつくることに何か特別な意識があるとすれば、それは単なる思い込みなのではないだろうか。 |
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