>なぜ、貧困苦の時代では涙と笑いで、貧困消滅以降は笑いのみなのか。
>また、涙の起点は「共感脳」であるということも注目されます。涙を流すことは「共感脳」領域を強く刺激し活動を活発にする。(172702)
貧困時代の名作と言われる本やドラマは大抵主人公が貧困や病気という不遇を背負い、それでもその環境下にめげずに頑張っているシチュエーションが多い。
つまり、観客は貧困にあえぐ自分たちの姿と主人公を重ね合わせ、共感しているのです。現実にはどうしようもない貧困の圧力を、自分たちの代わりに本やドラマの中で主人公に突破してもらいたいという思いがあるのです。その意味では共感脳の刺激→涙という流れではないでしょうか。
貧困が消滅して以降は“貧困”というみんなの課題が消滅したことで、現実の私権闘争の可能性へと収束し、共感に訴える“涙の解脱”が衰退したのだと思います。
>だからこそ、収束不全=観念不全の現在においては、新しい認識(答え)が求められるのだといえます。(172702)
同感です。私権序列原理が崩れ、現実の中で共認充足を得られる可能性が開かれたのですから、もはや本やドラマといった架空の世界に充足を求める必要はないのです。 |
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