>つきつめれば「おしゃれとは、その人の対象性のあらわれ」であると。
最近いい意味で「変ったね!」と言ってもらえることがありました。
なにが変ったかというと「服装」。
思い返せば、会社に入社した当時は学生のままの流行の服装を主にしていました。そのときの評価されたい対象は学生時代の男・女友達・彼氏でした。
しかし、私が日々大半の時間を過ごすのは職場。
職場という集団に属していながら、その場にいない相手を対象化し、自分が評価されたい、自分が満足したいという自我を振りかざしていたのだと思います。
当時の私はやはり目上の方々から見て派手な子だなと見えていたようでした・・・。
それはすなわち場の空気が読めない=適応できていないということにあたるのだと今となってはわかります。
私の変化に気づき褒めてくれた人は、服装を褒めたというより「対象性が身に付いたんだね」というところを褒めてもらったのだと気づいたのと同時に、なぜ対象性が広がったのかを考えてみると、「いい男たちへの収束」は欠かせない!とまたまた気づきでした。
いい男たちの闘う姿を日々目の当たりにし、自分の評価・自分の満足ではなく、”集団の一員として”の評価に収束できるようになったのだと思います。そしてそれと同時に、女として不可欠な安心基盤や安定感も得られたのだと実感しています。 |
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