>それは、自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく運動であり、従来の国家や市場に要求するだけの「社会」運動とは全く位相を異にしている。旧体制(国家と市場)自身が行き詰まって終った今、国家や市場に要求しても事態を悪化させるだけであり、その様な欺瞞的な社会運動は早晩旧体制と運命を共にすることになるだろう。32085
最近は、社会運動が低調のよう見える。労働運動、消費者運動、女性運動・・・あまり見かけなくなってきた。
これらの運動の主要な中味は「要求」であり、「権利」の主張である。これらの運動は、現状の体制を批判しつつも結局その主眼は現状体制の転覆ではなく、分け前の要求であった。そして、それが彼らの活力源でもあり、国や地方政治への圧力源であった。
現在は、分配を差配する胴元(国家)が、つぶれそうである。だから、分け前を要求する運動はリアリティがない。むしろ、国家の行く末に危機感を持っている人から見ると、要求運動は、あまりにも不毛で空しい運動に見える。まさしく欺瞞的である。
それに変わって、今は、国家に対する圧力源は、マスコミが第1であろう。しかし、インターネットも無視できない。マスコミもインターネットの書き込みを注視している。2CHなどの書き込みをネタにマスコミが世論に火をつけることもしばしばある。これは、インターネットというあたらしい市民の世論をマスコミも認めざるを得なくなってきた証左である。
ところが、それらのネタをマスメディアに流布するだけでは、社会は統合できない。
まじめに考えている人、事実を認識できる人ほど、現在の社会運動には懐疑的であり、マスコミ不信である。多くの人が「答えがない」というジレンマに陥っているのではないか?
「新しい場」を創っていく土壌はもはや十分にある。あとは既存の体制に見切りをつけて新たな「場」に収束すれば、新らしい社会統合機構への道筋が見えてきそうだ。 |
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