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プロ(学者・官僚・政治家・マスコミ)による観念支配こそ、時代閉塞の元凶 |
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環境問題の報道に対する違和感:「二足目のわらじを探して」 |
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遊撃手 ( 44 ) |
08/02/21 PM11 【】 |
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ブログ「二足目のわらじを探して」リンクに、「マスコミによる世論形成はNG」と題して、最近の環境問題報道への違和感が表明されている(普通の人の感覚の代表のように感じられる)
------以下、抜粋して引用------
最近の放送局を見るとちょっと変。
テレビ朝日の地球環境について考える「地球温暖化プロジェクト」など、一見、良いことのようだが、どうなのであろうか。
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テレビ局のように視聴者に対して影響力があるメディアが、そのメディアの力を使って、メディアが考える世論を形成するというのは間違っていると思う。
今回の世論形成は「環境問題」という、地球に住むわれわれが誰でも受け入れるべきことであるから問題がないように感じるが、このようにテレビ局が「テレビ局が考える地球温暖化についての考え方」を一方的に届けることは、ある種の世論操作であり、第二次世界大戦中の日本の放送局が行っていた放送と本質的に変りがない。テレビ局がキャンペーンを行ってテレビ局の意見を発信することは非常に危険である。個別の番組のキャスターが個人の意見をコメントするのとは次元が違うのだ。
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自分自身、地球温暖化については一種の懐疑論者であることは以前書いた。懐疑論者が生まれる原因は、中途半端な情報発信であると思う。
特に環境問題、中でも地球温暖化については、一回の放送で届けられる情報には限界があるため、番組制作者には理解できても、視聴者にはコンテクストが理解できない形の番組になりやすい。放送局は情報を発信するときに、反対の意見がある場合は、その意見も情報として流す。しかし、十分な放送時間がないために、両方の考え方についての重みがイコールであるかの誤解を招くことがある。しかし、実際には主流と傍流の意見があり、傍流には傍流の理由があるのにもかかわらず、その理由については削られてしまうことが多い。
このことが、地球温暖化の番組などでも実際にあり、懐疑論自体の重みを必要以上大きくしてしまった。かといって、とある温暖化論者が書いていたように、「懐疑論自体を隠してしまえ」という考え方も間違っている。情報が隠されていたことを知れば、その情報を知ったものは隠されていた情報をさらに信じ、隠していた人を信じなくなる。 |
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