貧困の消滅がもたらした「構造認識」への忌避(思考停止)状態は大学をして唯一認識を発信する場として、特権化を助長する結果となった。
確かに私達の学生時代は大学とは現世のしがらみに影響されず理論を追求できる唯一の場であると聞かされたもである。あらゆる分野の専門家が社会を導いてくれる有り難いものとして受け入れ、盲目的に信じたことも事実である。
今でも、何か問題が起こるとメディアに登場するのは、決まって○○大学の肩書きを持った人達だ・・・
しかし、ここ数年で私達の意識は彼らの想像を超えて大きく変っている、答え欠乏を源とした認識収束への流れがより顕在化してる。たとえ大学の先生であろうが、答えのヒント(潜在思念がキャッチできる)にもならない内容の発信では見向きもされない、そう言う時代になったのだと思う。ネットの普及がこの流れを加速したことは明らかであるが、マスコミが相変わらずの姿勢から脱却できないのは、硬直した体制の故か、実態のない権力への執着くらいしか考えられない。 |
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