>しかも、それは人類の新たなまつり場であり、そこでは『場』に参加することが、そのまま『場』を構築することになる。云い換えれば、『場』に参加するだけで、『場』の構築という事業の立派な協働者となる。従って、人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく(msg,32085)
みなが元気になる場が「まつり場」
社会不全が高まり、元気を無くしている現状を切り開く
これからの「まつり場」が「認識形成の場」であること
・・そのに参加することで「まつり場」になる・・
それにきずく新しい認識をえた。
食料を確保することが重要な課題であった農耕社会の時代には、地域集団毎に収穫祭ああり、集団仲間同士が互いに喜び分かち合い労苦を払拭して盛りあがり、又来年への元気につなげたものであり、それにより集団が統合できていた。
いまでは、多くのまつりは作り手と観客に分離して、そこに参加しているものは体感共認の発散はあっても、それまでであり、元気はでない。
強制圧力(課題)を無くして、共同して対峙するものをない、この形式は意味をなくした。 |
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