従来の社会運動は「賃金」「労働者の権利」「勤務時間」と言ったような、いわば私権絡みの要求を国家や市場に行い、国家や市場は私権の調整役として応えていたに過ぎない。
私権の衰退から活力▼、先行きの見えない社会をどうにかしてくれと私権社会に立脚した国家や市場に要求しても所詮無駄である。可能性など見いだせるはずもない。
先行きの見えない社会、答えの見えない状況をどうにかしてくれと答えを求めて外向収束した人々が行き着く先は最も可能性がある最先端の認識形成の場しかない。
答えを求める原動力が場への参加につながり、活力源となり、参加する皆と共にその場そのものを作っていくことになる。更に参加し活力をアップしていくことで新しい社会統合機構につながる場は、可能性が見いだせない社会運動などとは比べようもない活動である。 |
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