>歴史を考える上で大切なのは従来の2項対立的な思考を超越しうる「思考のゆとり」である。<(22242)
二項対立的な思考が、現代に氾濫しているように感じる。特にマスコミの論調に顕著に現れているように感じる。底が浅く最も簡単で分かりやすい言葉だからである。
【人間と自然】【自分と他人】【真と偽】
【必要と不要】【戦争と平和】【○と×】
【賛成と反対】【客観と主観】【公と私】
これらの言葉群によって、日常において物事を捉えるときでも、無意識に二項対立的に判断していることが多いと改めて感じる。(思考とは程遠く、非常に短絡的)
この思考方法、現実を二項的に捉えることで、ちゃんと多角的に現実を見ているというような錯覚を起こします。物事はそんな簡単にプラス面とかマイナス面とかを判断できるわけではなく、どちらも共存していることが多いのが現実だと思います。それを無理やり二項対立的に判断すると、中身は実にうくっぺらな現実否定の為の倒錯思考であることが見えてきます。(この思考の代表例が朝まで生テレビ等の討論番組でしょう)
重要なことは、現実を二項対立で捉えることではなく、現実直視することです。そしてその現実直視して見えた事実がどうなっているかという思索です。
この思考によって、今まで停止していた思考が動き出すことによってはじめて、「思考のゆとり」が生まれるんだと思います。 |
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