>今や、「構造認識」は統合階級(学者や官僚やマスコミ)の商売道具として残存しているに過ぎない。もちろん心ある大衆は、そんなモノを全く信じておらず、彼らの言説を耳目にする度に吐き気を催すほど、ほとほとウンザリしている。(18718)
社会の変化が余りにも大きくて早い事に、最近びっくりしています。次々に大きな事件、社会変化が起こる。その変化の余りの大きさに、社会はどうなっていくのだろうか?何故こんな事が起こるのだろうか?そう感じざる得ません。
そう感じながら、ニュースを見れば見るほど、解説者、大学教授、政治家などの統合階級の、言説は期待を裏切り続ける中味のない認識ばかりで呆れてしまいます。
>大学の体制化とそれによる肯定派の増大によって、徒らに対象の細分化が進行し、ますます基本構造の見直しが捨象されて、誤った「基本認識」を生き永らえさせる事になった。(18718)
まともそうな言説も、良く聞いてみると中味が殆んどありません。それは、今年暑さの原因は、と言う問いに対して「大きな高気圧が太平洋に居座っているからである」と言う説明と同じで、そんな解説は「気温が高かったから、暑かった」と言った言い換えと同じす。専門分家とは、細かく分野を分けて、専門用語で言い換えを行う人みたいです。
そこからは、何ら新たな答えに迫る構造認識が全くない。多くの統合階級の言説(=商売道具)は、私権観念を使って、目の前の現象を言い換えているだけで、可能性が全くないということです。 |
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