>要するに、近代思想家たちは、夫々の否定意識や自我観念に囚われた、極めて一面的な「構造認識」しか生み出せなかった。つまり、社会や人間についての構造認識は、未だ入り口にも達しない、根本的な誤りを刻印されたものでしかなかったのである。
中世、近代、現代と時代を追って、思想は様々な系譜をたどってきたが、どれも一面的な構造認識でしかないというのは、考えさせられる。
つまり、現代の諸問題に対処できる「構造認識」はいまだにないということであるのだから。
では、新しい役に立つ構造認識を生み出すのはどうすれば良いのか?
おそらく、過去の思想≒構造認識のつまみ食いではどうにもならないだろう。
過去の思想は、すべて「市場社会≒私権社会」の外圧の中で生まれたものであり、貧困や自我、性を基盤とした偏った構造認識にしかなりえなかった。
しかし、これから必要な思想とは共認圧力による「本源社会」を生き抜くために必要な構造認識である。
そのためには、「本源社会」とは何かを深く追求することがスタートラインになるのだろう。 |
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