東洋・西洋の「ものの見方(思考方法)」の違い、その根本はどこにあるのか?
参考になりそうな記事がありましたので紹介します。
「東アジア文明の語るもの」梅原猛(朝日新聞2004/07/20文化欄《反時代的密語》)リンクより、以下引用します。
>私は、人類は農業を発明することによって都市文明を創ったと考えるが、その農業の性質がユーラシア大陸の東と西では違う。夏に雨の多い東のモンスーン地帯には稲作農業が、雨の少ない西には小麦農業が興った。気候の違いが農業の違いになり、それが東と西の文明の決定的な違いになる。小麦農業は牧畜を伴い、約一万二千年前に今のイスラエルの地で興り、約五千年前、今のイラクの地で都市文明を生んだ。稲作農業も、最近の研究によって小麦農業と同じころ長江中流で発生し、養蚕を伴い、約六千年前に都市文明を生んだことがほぼ明らかになった。<
>この二つの文明は、その農業生産の方法によっても思想を異にする。小麦農業は人間による植物支配の農業であり、牧畜もまた人間による動物支配である。このような文明においては、人間の力が重視され、一切の生きとし生けるものを含む自然は人間に支配さるべきものとされる。そして集団の信じる神を絶対とみる一神教が芽生える。
それに対して稲作農業を決定的に支配するのは水であり、雨である。その雨水を蓄えるのは森である。したがってそこでは自然に対する畏敬の念が強く、人間と他の生き物との共存を志向し、自然のいたるところに神々の存在を認める多神教が育ちやすい。<
>西の文明の優位は決定的であるように思われる。なぜなら近代ヨーロッパは科学技術文明というすばらしい文明を生み出したからである。この文明によって多くの人類はかつて味わったことのない豊かで便利な生活を享受することができるようになった。
しかしこの文明の限界も二十世紀後半になってはっきりみえ始めた。人間による無制限な自然支配が環境破壊を起こし、やがて人類の滅亡を招きかねないという危惧がささやかれる。そして一神教は他の一神教と厳しく対峙して無用の戦争を巻き起こし、二十世紀に起こった人間の大量殺戮が二十一世紀にはより大規模に起こる可能性すらある。このような状況において、あえて人類の末永い繁栄のために西の文明の二つの原理である人間中心主義と一神教を批判する必要があろう。<
>人間中心主義は西洋哲学の発生及びその発展と深く関係している。哲学はギリシャのソクラテス…プラトンに始まるが、彼らは循環する自然を重んじるイオニアの哲学を批判し、人間のみがもつ理性を重視し、その理性の上に哲学を樹立した。この思想はキリスト教に受け継がれる。キリスト教は、理性を人間のみに付与された神の似姿と考え、それによって人間に他の被造物に対する無条件の支配権を与える。デカルトに始まる近代西洋の哲学は、神を棚上げして世界の中心に理性をもつ人問をおく。これが近代科学技術文明の土台をなす哲学となったが、この文明によつて環境破壊が起こった。私は、現代の哲学のもっとも重要な課題は、理性を人間中心主義の思想から解放し、生きとし生けるものとの共生の思想と結合させることにあると思う。<
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以上、引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
東洋と西洋の文明の違い。その根本には一神教と多神教という宗教観(認識様式)の違いがあり、それが決定的な要因となっているようです。さらにその根本には、各々の土地の気候条件の違いによる農業生産の方法の違いがあることが述べられています。
気候条件(外圧条件)→ 農業生産様式 → 宗教観(認識様式)→(近代思想→)現代の東洋・西洋の「ものの見方(思考方法)」の違い、へとと繋がっているのではないかと思われます。
東洋・西洋の違いの根本にある一神教(→人間中心主義)的な捉え方と多神教的な捉え方の違い、その背景にある気候条件(外圧条件)の違いとは? さらに追求していきたいテーマです。 |
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